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【一聞百見】今だから話せる「勇者の三番」広島トレード秘話 元プロ野球阪急ブレーブス選手・加藤秀司さん

 61年、2000本安打まであと13本と迫っていたが、加藤は「引退」を決意した。そして恩師でもあった西本幸雄へ挨拶(あいさつ)に赴いた。「ちょっと待て。秀よ、ほんまにええんか。2000本安打はどないするんや。あと13本やろ」。「もう諦めました。悔いはありません」。「いや、もったいない。もったいないで、秀。ちょっと待っとれ」。

 西本はそういうと自宅の奥に引っ込んだ。そして再び加藤の前に出てきた。「杉浦(忠、当時は南海の監督)が面倒みてくれるそうや。秀、2000本安打、諦めたらあかん」。西本の熱意に押された加藤は深々と頭を下げた。そして翌62年5月7日、大阪球場で行われた古巣阪急との一戦で、かつての同僚山田久志から六回、右中間へ本塁打を放ち、2000本安打を達成したのである。だが、その当時のことを加藤はあまり話そうとしない。何かあったのだろうか…。

広島時代の加藤さん。背番号は「6」だ=昭和58年
広島時代の加藤さん。背番号は「6」だ=昭和58年
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 「実は王さんに不義理をしてしもてなぁ。61年に引退しようと決めたとき、王監督からも2000本安打を諦めるな。ロッテへの移籍話もあるからといわれていたんや。それを、もう辞めます-と断っとったのに…。南海入りは王さんにしたら、ええ気はせんやろ」。秀さんの野球人生2度目の“後悔”だった。

 その年(62年)を限りに加藤は現役を引退。野球評論家の道を歩みだした。「オレなんかに指導者の声は掛からん」と思っていた。ところが平成6年オフ、日本ハムから1軍打撃コーチの声が掛かった。掛けたのはなんと、あの上田利治監督。「何でオレに? あんなことがあったのに? 訳がわからんかった。どうしたらええんやろ…」。加藤はまた恩師・西本幸雄を訪ねた。すると今度は頭から怒鳴られた。

 「アホかお前は! そんなもん考える必要もない。ウエはお前を必要としとるんや。過去のことなんか、どうでもええことや。行ってこい」。こうして秀さんの指導者としての“第3の野球人生”が始まったのである。

 オリックスの2軍監督や中日の2軍打撃コーチ。社会人野球や独立リーグの指導者も務めた加藤には、手本となる4人の指導者がいるという。▽西本幸雄=選手を納得させる熱い情熱▽青田昇=卓越した打撃理論▽長池徳士=選手への観察力▽上田利治=褒めて育てるうまさ-だ。

 --なんや、みんな阪急の人ばっかりやないですか

 「ほんまや。いろんな球団を渡り歩いたけど、やっぱりオレも“阪急の加藤”ちゅうことかな」と笑った。ほっこり心が温かくなったような…。秀さんに会ってよかった。

(敬称略)

 【こぼれ話(3) 恩師・西本幸雄について】

 毎日、毎日、3時間付きっ切りでバット振らされたよ。技術やない。最後までついていくという精神力だけやった。おかげでバットスピードが速くなった。けど、よう叱られたなぁ。ある日監督に、なんでオレは叱るのに、福さんはちっとも叱らんのですか? と聞いたことがある。そしたら『お前は叱っても、向かってくるやろ。けど、福は叱ったら逃げよる。逃したらアカンから叱らんのや』。妙に納得したわ。何時間も何時間も一人の選手の練習に付き合うあんな熱い監督はおらん。大恩人やな。(今年の4月25日、西本幸雄の生誕100年を迎える)

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