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【歴史シアター】五塚原古墳、箸墓と「兄弟墳」 築造時期確定の土師器出土 京都・向日市

 こうした特徴は箸墓以後の前方後円墳にはみられないが、同じ纒向遺跡にある3世紀中葉の「東田大塚(ひがいだおおつか)古墳」(全長約120メートル)には、ほぼ同じ特徴があることがわかっている。

 五塚原の発掘調査をしてきた向日市埋蔵文化財センターの梅本康広・常務理事(事務局長)は「出土した二重口縁壺は、材質から地元の土を使って、祭祀(さいし)用に作られたものです。これで、五塚原の築造年代が確定したことになります。時期、古墳の特徴としては東田大塚と最も似ていますが、箸墓も同時期、同形態の古墳で、いわば、〝兄弟墳〟の関係にあると言っていいでしょう」と話す。

墳丘から出土した土器片。祭祀用とみられるが、築造期を決める証拠になった(向日市埋蔵文化財センター提供)
墳丘から出土した土器片。祭祀用とみられるが、築造期を決める証拠になった(向日市埋蔵文化財センター提供)
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 箸墓は築造時期を3世紀中葉とみなして、中国の歴史書「魏志倭人伝」にこの時期に死亡したと記される卑弥呼の墓と考える研究者も目立つが、箸墓を含む奈良盆地東南部では3世紀後期には、ヤマト王権が成立し、箸墓は最初の大王墓とみられている。

 梅本常務理事は「箸墓がヤマト王権の大王クラスの墓と考えれば、五塚原に葬られたのは、王権を支えた有力者だったのではないか。東田大塚の被葬者に次ぐような立場の人物だった可能性もある」とみている。

■邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説

 【メモ】箸墓古墳 後円部は径約150メートル、前方部が長さ約130メートルで出現期の前方後円墳。前方部4段、後円部5段(最上段は小円丘)の段築で、表面には葺石もあった。墳頂周辺から吉備と同型の特殊壺形埴輪などが確認され、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説も出されている。

 わが国最初の大王墓とされるが、宮内庁は第7代孝霊天皇の娘、倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理。日本書紀によると、姫命は三輪山の神・大物主(おおものぬし)の妻。夜しか訪れない神が、姫命の願いで朝までいたが、その姿は蛇に。騒ぐ姫命に愛想をつかした神が帰ると、後悔した姫命が座り込んだ弾みで箸が刺さり死亡。それで箸墓の名が付いたという。 

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