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【教科書が教えない 幻の堺幕府】「海船政所」は三好軍勢のベースキャンプ?

埋没して面影なし

 南海本線・七道(しちどう)駅から南へ歩いて数分。堺のまちを取り囲む環濠(かんごう)の北側、堺市堺区桜之町西に海船政所跡の石碑と案内板がある。あたりは民家が立ち並ぶ住宅地で、民家前にぽつんとある古びた石碑は案内板がなければ見逃してしまいそうなほど、現代の風景の中に埋没してしまっている。

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 この石碑は昭和33年に堺市が建立したものだが、ここからさらに南東約400メートルほどの同区錦之町西の錦西コミュニティー広場前には、「此附近三好氏海舩館址」と刻まれた、三好氏の海船政所が置かれていたことを示す、大正8年大阪府建立の石碑がある。こちらは植え込みの木の陰に隠れ、枝葉をかき分けないと見えない。桜之町西の石碑以上に目立たない史跡に、地元住民も「長年ここに住んでいるが、何の碑なのかわからない。あまり気にしたこともない」と冷淡だ。

 海船政所の遺構(いこう)はまったく残っておらず、伝承が残るめぼしい場所といえば、この2つだけ。広大な敷地を誇ったという盛時の面影をしのばせるものは見当たらない。だが、かつてこのあたりは目前に海が迫っており、「堺の入り口」といわれた交通の要衝だった。

軍事拠点か

 海船政所の役割について吉田さんは「政庁機能を備えた施設でもあったでしょうが、それだけでこんなに広大な敷地が果たして必要だったのか」と疑問を呈し、「三好の軍事拠点だったのではないか」と推測する。

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 具体的には、有事に備え兵士らを駐屯させるベースキャンプのような施設を想定。畿内をほぼ制圧したとはいえ、近江(滋賀県)に逃れた室町幕府の将軍・足利義晴と管領・細川高国が京都奪還(だっかん)を虎視眈々(こしたんたん)と狙っているなど情勢はまだ不安定。「事あるごとにあちこちに転戦する兵士らの野営地が必要」だったと推定される。

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