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小山田古墳は想定より巨大か 奈良芸術短大教授が新説

小山田古墳の北側で見つかった掘割。東側にも同様の遺構が存在する可能性が指摘された=奈良県明日香村(平成26年撮影)
小山田古墳の北側で見つかった掘割。東側にも同様の遺構が存在する可能性が指摘された=奈良県明日香村(平成26年撮影)

 飛鳥時代の権力者、蘇我蝦夷(えみし)らの墓とされる小山田古墳(7世紀中頃、奈良県明日香村)について、東西約300メートル規模の墓域(ぼいき)が存在し、墳丘規模は想定よりも大きい約90メートル四方に及んだとする新説が、先月出版された論文集「古墳と国家形成期の諸問題」(白石太一郎先生傘寿記念論文集編集委員会編、山川出版社)で発表された。

 発表したのは、橿原考古学研究所元職員で、奈良芸術短大の前園実知雄教授(73)。小山田古墳の被葬者については舒明天皇説もあるが、前園氏は蝦夷説を唱え、西側の菖蒲池(しょうぶいけ)古墳と合わせて「日本書紀」に登場する蝦夷・入鹿(いるか)の双墓(ならびのはか)とみており、研究者の注目を集めそうだ。

 前園氏は、平成5年の明日香村教委の調査で、古墳中心部から東へ約140メートルの場所で見つかった貼石(はりいし)護岸遺構(長さ約20メートル)に注目した。平らな石を斜めに積んだ構造は、古墳北側で26年に発見された掘割(ほりわり)の積み石と共通し、方位も墳丘と一致。一帯が整地土に覆われ、土を突き固めた版築(はんちく)状の土層(厚さ約90センチ)も確認されていることから、東側にも掘割が存在する可能性が高いと推測した。

 当時使われていたとみられる高麗尺(1尺35・6センチ)で計測したところ、古墳の中軸線から貼石護岸まで400尺(約142メートル)と判明。西側にある菖蒲池古墳の中軸線までの距離も同じく400尺だった。

 前園氏はこのため、両古墳は同一プランに基づいて築造され、菖蒲池古墳の墓域(約70メートル四方)を踏まえると、小山田古墳の墓域は東西約300メートル規模に及んだと判断。墳丘規模は現在の地形から、250尺(約90メートル)四方と想定されるとみている。

 小山田古墳では橿考研による26年度の調査で、墳丘北側で掘割などが見つかった。規模は東西80メートル以上、南北約70メートルと推定され、飛鳥時代最大の方墳とみられている。

 前園氏は「蘇我氏の力を示すため、壮大なプランで2つの墓が造られたと思う。同時に築造が開始されたが、小山田古墳は完成しなかった可能性もある。橿考研の調査で、実態がさらに解明されることを期待している」と話している。

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