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【お城探偵】明智光秀が築いた亀山城 要衝ゆえに消えた痕跡 千田嘉博

【お城探偵】亀山城
【お城探偵】亀山城
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 亀山城は現在、宗教法人「大本」の施設の敷地になっていて、本丸などは神域として立ち入りが制限されている。ただし、宗教行事に支障がなければ、受付に申し出ると本丸の手前までは見学可能で、石垣や堀などをたどれる。敷地内はみごとに環境整備されていて気持ちよく歩ける。

 見学できる範囲で本丸の石垣などを観察すると、石垣の隅石は荒割石と切石を用いていて、石材の長短を交互に積み上げた算木(さんぎ)積みになっている。観察できる石垣は全体に近世以降の積み直しが広範囲に及び、年代の特定は一筋縄ではいかないが、最も古い部分でも、光秀亡き後の慶長期と思われる。

 光秀が築いた亀山城がどのような姿だったのかは、優れた立地であること以外に分からないというのが、目下の正直なところである。現在の亀山城を見ながら、光秀に思いをめぐらすのは難しい。(城郭考古学者 千田嘉博)

【用語解説】亀山城

 織田信長から1575(天正3)年に丹波攻略の命を受けた明智光秀が築城。天守は飾り破風(はふ)がまったくない様式で、今治城(愛媛県今治市)から移築したという説もある。明治以降も多くの建物が残っていたが、払い下げられ取り壊された。大本が1919(大正8)年に城跡を購入し、聖地として整備。政府による弾圧を受けた際に石垣なども壊れたが、教団が修復した。

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