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【虎番疾風録第3章】(64)近鉄 奇跡の反撃、同率首位

 10月4日、筆者は近鉄-南海戦が行われた大阪・森ノ宮の日生球場に来ていた。優勝争いをしている近鉄担当のお手伝いである。悲しいかな昭和39(1964)年の優勝以来、「虎番」の下っ端記者はずっとこの“お手伝い”が続いている。

 「日生球場」には思い出があった。入社1年目の昭和54年、筆者は原因不明の「じんましん」に悩まされていた。記者席で試合を見ていると、終了間近になると必ず体中がかゆくなった。医者によれば「極度のプレッシャー」が原因という。前もって薬を飲むと今度は強烈な眠気に襲われた。意識朦朧(もうろう)…そんな54年の6月9日、日生球場での近鉄-ロッテ戦で「事故」が起こった。近鉄の大砲マニエルが五回、ロッテの八木沢の投球を顔面に受けたのである。

 「グシャ」というイヤな音が記者席まで聞こえた。眠気も吹っ飛んだ。マニエルの口から鮮血があふれた。筆者は救急車を追いかけ病院へ。診断は下顎の複雑骨折だった。

 マニエルは14試合に欠場しただけで後期に復帰した。アメリカンフットボールのようなフェースガードのついたヘルメットをかぶり、37ホーマーを放って近鉄の初のリーグ優勝に貢献したのだ。

 <恐るべしマニエル>

 55年の日生球場に場面を戻そう。近鉄は先発・井本の乱調で八回表が終わった時点で4点のリードを許していた。

 ◇10月4日 日生球場

 南海 100 400 210 =8

 近鉄 012 001 041x=9

 (勝)柳田13勝8敗6S (敗)金城5勝4敗13S (本)藤原(7)(井本)(8)(橘)、マニエル(46)(竹口)、栗橋(26)(三浦)、島本(5)(三浦)、佐々木(18)(金城)

 近鉄の奇跡の反撃が始まった。八回2死一、二塁から栗橋の中前タイムリーで1点を返すと、なおも一、二塁のチャンスで「代打」で登場した島本が左中間席へ起死回生の同点3ラン。そして九回、1死から佐々木が左翼へサヨナラホームランを叩き込んだ。

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