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【関電原発マネーの闇】(中)貧しかった街が…原発と歩んだ立地町のジレンマ 

 そこで起死回生の策が持ち上がった。原発の誘致だった。

 高浜原発1号機は49年に運転開始。50年に2号機が稼働し、60年には3、4号機が続いた。

 「関電の仕事の方が給料が高くて、地元住民はみんなそちらで働いた。人手が足りないと地元業者に泣きつかれたこともあった」。57年から平成8年まで町長を務めた田中通(とおる)氏(93)が語る。

 県道の整備、貿易港の開港…。原発建設を機に町は一変した。数々の恩恵を町誌はこう刻む。《財政規模は増大し、町は飛躍的に発展した》

*  *  *

 地元で高浜原発誘致の立役者とされる元助役の森山栄治氏(故人)は関電にとっても「功労者」だった。

 「先生のおかげでこのように立派になることができました」

 関電の原子力事業本部(同県美浜町)の幹部の1人は、異動で本部を離れるにあたり森山氏の元にあいさつに出向いた。高浜原発の地元対策を図る上で重要な人物だったからだ。

 関電の報告書では、原発推進における森山氏との関係を「立地町の有力者として地域対応上の助言・協力をしている」と記載。具体的には「昭和50年代に、高浜3、4号機増設の誘致や地域のとりまとめなどについて、多大な協力を受けた」とし、「それ以降、原子力事業が円滑に進むように森山氏と良好な関係を築き上げてきた」とした。

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