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【夜間中学はいま】(12)ラブレターを妻に書くため、文字を学んだ

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「夜間中学で勉強し、初めて自分の名前書いたことを今でも忘れない」と話す西畑保さん=7月13日午後、岡山市北区(吉田智香撮影)
「夜間中学で勉強し、初めて自分の名前書いたことを今でも忘れない」と話す西畑保さん=7月13日午後、岡山市北区(吉田智香撮影)

 学校に通ったのは、小学2年の途中まで。だから、自分の名前も住所も書けなかった。わが子の出生届を市役所の職員に代筆してもらったときは、情けなさに涙があふれた。「子供の名前ぐらい自分で書きたかった」。20年前から奈良市立春日中学校夜間学級に通い続けている西畑保さん(83)は、読み書きを学び文章を書くのが大好きになった。長年、支えてくれた妻に、手紙で感謝の気持ちを伝えることもできた。

 「名前を書いてな」-。妻に回覧板を手渡された。30代半ば、新婚時代のころのことだ。書いてはみたが、文字にならなかった。

 実は、妻にすら読み書きができないことを隠していたのだ。厳しい言葉で非難されても仕方がないと、離婚も覚悟した。妻はとても驚いた様子だったが、数日後、「これからも一緒に頑張ろうな」と言ってくれた。

 西畑さんが育ったのは、和歌山県新宮市の山深くにある炭焼き小屋。家には電気も水道もなかった。午前5時に家を出て、小学校まで歩いて3時間。冬場は通えず、1年生の半分は欠席した。

 小学2年のとき、学校で100円を落とした。和紙の材料になる雁皮の木の皮をはいで、こつこつと稼いだ大金だ。誰の物かと尋ねる担任に、自分のお金と答えた。「貧乏なのに持っているはずがない。嘘つき」と言われ、廊下に立たされた。級友からはつばを吐かれ、「泥棒」と心ない言葉を投げつけられた。

 この一件をきっかけに、学校に行くのをやめた。今でも、いじめのニュースを見ると、当時の記憶がよみがえる。「いじめられた傷は一生消えない」

 他に行くところもなく、家業の炭焼きを手伝っていたが、嫌でたまらなかった。「早く家を出て働きたい」と12歳でパン屋に就職。食堂やすし店を渡り歩き、食の世界で仕事を続けてきた。

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