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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(5)西郷と勝 慶喜は激怒したのか

 勝はしばらく「心胆ともに砕け、足腰がまひ」したが、「上様の間違いです。拝辞する小臣を強いて登用し、『すべて任せる。口出しはしない』と約束したのは上様でござりませぬか。明日の江戸百万の民の生死に心配などありません!」と面罵するようにして席を立った。「この時の愁苦、だれに打ち明ければよいのか」と勝は結んでいる。

 実は同じような話は勝の備忘・随感録集『解難録』にも収載されているのだが、慶喜と勝の言動が微妙に「断腸之記」とは違う。また、薩摩藩出身で後年の首相、黒田清隆によると、主従の衝突は西郷・勝会談の結果を報告したさいのこと。「江戸城明け渡し」を知った慶喜は「祖宗や臣下に申し訳が立たぬ」と非難を始めたが、勝の反論と辞職まで口にするけんまくに「余が悪かった」と謝罪。勝は黒田に「今考えても断腸の思いだ」と述べたという(『維新伝疑史話』)。

 以上、連載初回でも取り上げた「勝の矛盾」である。衝突の時期やその真偽は別にして、慶喜が勝に全幅の信頼を置いていたわけではなかったことは維新後の慶喜の述懐や「勝日記」の他の記述から明らかだ。

 しかし、勝は慶喜と徳川宗家に常に「誠」であり、「忠」だった。開城後、江戸城下がより不穏になったのは「主」がいないため-として早々に慶喜の江戸帰還を新政府に運動し、いまだ公表されていなかった徳川宗家の減封を最小限にとどめようと奔走した。

 そんな勝を絶望させたのが上野戦争だった。本連載のまとめとして次回、幕末維新史研究の第一人者である家近良樹・大阪経済大学特別招聘教授との大型インタビューを通して江戸開城の「点と線」を考えたい。(編集委員 関厚夫)

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