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【お城探偵】千田嘉博 再建「尼崎城」天守 平成に生まれ令和を見渡す

平成の時代に「復活」した尼崎城天守。実際にあった天守とは左右反転で、櫓の連結位置などが史実とは異なる(筆者撮影)
平成の時代に「復活」した尼崎城天守。実際にあった天守とは左右反転で、櫓の連結位置などが史実とは異なる(筆者撮影)

 兵庫県尼崎市は神戸と大阪の中間にあたり、山陽道による陸上交通と瀬戸内海による水上交通の、両方を掌握した要の土地だった。豊臣家が滅んだ大坂夏の陣後の1617年(元和3)に江戸幕府は戸田氏鉄(うじかね)を尼崎城主とし、氏鉄は翌年から大規模な築城を進めた。自然地形を活(い)かしつつ、四角い本丸などを整えた姿は、徳川大坂城とも共通性をもった。そして、城の中心には四重の天守が建った。この天守は白漆喰(しっくい)惣塗(そうぬ)り籠(ご)めで、真っ白な外観だった。

 その後、近代になると尼崎には工場群が建設され、関西の工業化を支える都市として目覚ましく発展した。その過程で城の石垣は壊され、堀も埋め立てられて、江戸時代の城下町の痕跡は乏しくなってしまった。

 そうしたなか、尼崎市で立ち上げた家電量販店「ミドリ電化(現エディオン)」創業者の安保詮(あぼ・あきら)氏が、私費約12億円を投じて尼崎城天守を「再建」。昨年11月に完成すると市に寄付し、2019(平成31)年3月に一般公開がはじまった。平成最後の築城であったといえるだろう。

 本来の天守が建っていたのは現在の市立明城小学校周辺だが、市街地化が進んでいるため、新たな天守はそこから北西に300メートル移動した位置に建った。

 天守の外観は古写真などをもとに旧状に従い、本来、天守の両脇に連結した多聞櫓(たもんやぐら)の一部も再現した。天守内部は展示施設として用いている。尼崎の歴史文化を展示して体験・学習し、情報を発信して交流拠点にするため、さまざまな展示と体験の装置を設けている。

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