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津波の正しい知識と判断力を養え 東北防災ツアー(下)

津波で横倒しになった鉄筋コンクリート2階建ての旧女川交番。震災遺構として保存されることが決まっている=8月4日、宮城県女川町
津波で横倒しになった鉄筋コンクリート2階建ての旧女川交番。震災遺構として保存されることが決まっている=8月4日、宮城県女川町
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 大阪府泉大津市の僧侶、石原成昭さん(52)の企画で記者を含む5人が参加した東北防災ツアー。一行を迎えた被災地の住民たちは、一瞬の判断や偶然によって死線をくぐり抜けていた。(小野木康雄)

■根拠のない「大丈夫」ほど危ない

 2日目(8月3日)に訪ねたのは、大船渡津波伝承館の館長、斎藤賢治さん(71)=岩手県大船渡市=だった。

 斎藤さんは平成23年3月11日、当時専務を務めていた製菓会社の社屋にいた。強い揺れの直後、従業員にすぐ命じた。

 「よし逃げろ。逃げなさい。避難!」

 向かいの丘に逃げ、夢中で動画を撮影した。37分後に津波が防潮堤を越え、家を押し流しはじめた。「収まってくれい、収まってくれい!」「ああ、全部だめだ」。勢いを増す濁流の映像には、慟哭(どうこく)のようにも聞こえる斎藤さんの声も入っている。

 その映像を動画サイトに投稿したところ大きな反響を呼び、斎藤さんは教訓を伝えたいと語り部になった。25年に伝承館を仮オープンさせ、現在は大船渡市防災観光交流センターを拠点に活動している。

 一行が訪れた日、斎藤さんは「正しい知識と適切な判断があって命は守れる。根拠のない『大丈夫』ほど、危ないことはない」と語り、地震が起きたら津波が来ると覚悟すること、すぐ高台に避難して絶対に戻ってはならないことを、繰り返し説いた。

 参加者のFMいずみおおつパーソナリティー、笹井菜摘さん(36)が質問した。「私たちは、海の見える泉大津から来ました。震災の後、大船渡には高い防潮堤ができて海が見えなくなりましたが、寂しくないですか」

 斎藤さんは「私は気にならない。けれども防潮堤は、景観上はない方がいいし、防災上はあった方がいい。複雑な思いですね」と答えていた。

■流されても、作り直せばいい

 防潮堤とは別の防災対策を打ち出したのが、ツアー最後の目的地として3日目(8月4日)に訪れた宮城県女川町だ。高台に住宅地を移す一方、海に近いJR女川駅前に公共施設や商業施設を集約させている。

 震災では、津波で住宅の約7割が流失し、町民の約1割が命を落とした。「津波は必ず再び来る。ならば流されてもいい施設を建て、また作り直せばいいという発想になった」。商業施設を運営する第三セクター「女川みらい創造」営業部の今野雅彦さん(47)が説明した。

 レンガの歩道と木造建築が美しい景観を織りなす一方、近くには鉄筋コンクリート2階建ての旧女川交番が基礎ごとえぐられ、倒されたまま残っていた。

 海とともに生きる町民の覚悟を、無言で伝えているかのようだった。今後は震災遺構として保存され、一帯は公園になるという。

■太鼓の縁 震災語り継ぐ

 宮城県女川町への訪問は、いずみ太鼓「皷聖泉(こせいせん)」会長、深川みゆきさん(56)=大阪府和泉市=が調整した。女川潮騒太鼓轟会(とどろきかい)の代表、斎藤成子さん(56)と太鼓を通じて交流があり、復興支援の演奏会を開くなどしてきたためだ。

 ツアーの参加者らは、斎藤さんからも話を聞いた。

 斎藤さんの自宅は、津波が到達した最終地点付近にあった。1階は浸水したが2階に避難し、家族も全員無事だった。

 だが、素直に喜べなかった。水が引いた後、周囲の様子をうかがった次男の弘貴さん(27)は言った。「外に出ない方がいい」。遺体がたくさん流れ着いていたからだ。連日のように、家族を捜す人たちが近所にやって来た。

 押し流されてきた水産加工会社の倉庫に、真空パック入りの冷凍サンマがあり、焼いて命をつないだ。太鼓どころではなかった。

 5月、神戸の太鼓グループが避難所へ演奏しにやってきた。避難していた人たちが、斎藤さんにも太鼓を貸すようグループに頼んでくれた。ばちを握ると、涙がこぼれた。「凍り付いていた全身に、ようやく血が巡るかのようでした」

 轟会の子供たちは、空のペットボトルをばち代わりに、膝を打って練習を再開した。町も学校も活動を応援してくれた。他のグループに太鼓を借り、水につかった分を修理して、轟会は復活を遂げた。

 復興が進んで町が新しくなっても、自分自身は震災前に戻れないと感じている。それでも斎藤さんは言う。「太鼓を通じて、全国の人とつながり合うことができた。これからも女川で演奏し続け、震災のことを語り継いでいきたい」

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