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【虎番疾風録第3章】(39)大平首相の急死 猛虎も「父を失った悲しみ」

 それは、信じられない悲しいニュースだった。6月12日、突然、首相・大平正芳(70)が亡くなったのである。

 狭心症のため東京・虎の門病院に入院中だった大平首相の容体が急変したのは、12日の午前2時過ぎだった。午前0時に医師が巡回したときには血圧、脈拍、体温とも安定し、心配だった不整脈もなかった。それが急変した。主治医が駆けつけたときには、すでに心筋梗塞から急性心不全を起こして意識もなく、医師団が電気ショックによる心臓マッサージを十数回くりかえしたが、午前5時54分、帰らぬ人となった。

 首相としての激務と自民党内反主流派との戦いによる心労が原因といわれた。昭和54(1979)年秋の解散総選挙に大敗して以来、大平首相は反主流派(福田派、三木派、中曽根派)の突き上げに苦しんでいた。「四十日抗争」の末に勝ち取った第2次政権だったが、翌55年3月に発覚した「ラスベガス・カジノ疑惑」や「KDD事件」などのスキャンダルは野党を含めて格好の攻撃材料とされた。

 5月16日に社会党が衆院本会議で「内閣不信任案」を提出した。野党側も自民党がまさか可決させるとは思ってもみない。ところが、反主流派議員69人が採決に欠席。賛成243票、反対187票で不信任が成立したのである。大平首相は衆議院を解散した。世に言う「ハプニング解散」である。

 内閣は6月22日に史上初の「衆参同日選挙」を実施することを決定。深まる主流、反主流の対立-。選挙は“分裂選挙”の様相を呈していた。そんな中、5月30日の深夜、大平首相が倒れた。そして6月12日、帰らぬ人となった。あまりにもあっけない“昇天”だった。

 猛虎たちは「首相の死」を遠征先(中日戦)の福井で知った。「惜しい人を亡くした。父を失ったような悲しみだよ」と同郷(香川県)の中西監督は大きなショックを受けた。

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