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【虎番疾風録第3章】(33)カミソリ、ゴキブリ、ネズミの死骸…

 5月15日、甲子園球場での阪神退団の会見でブレイザー監督はこう語った。

 「辞める理由は…。まず、ヒルトンが解雇されたこととは関係ない。状況からいって彼は辞めざるを得なかった。しかし、新しい外国人選手について私はOKできなかった」

 球団はヒルトンに代わる助っ人としてメッツのボウクレア外野手(28)の獲得を進めていた。それが気に入らない? そんなことが言える立場だろうか。球団が期待していた独自のルートもなく、獲得したのはヤクルトの“お下がり”。球団の新たな補強に文句をいえた義理ではない。

 マスコミが第1の理由とした小津社長との「対立」も、ここまでの経過をみればむしろ、社長は監督擁護に立っていたといえる。実はマスコミが「対立」とした根拠は、4月21日、記者たちと雑談をしていたときの社長の発言だった。記者たちの「岡田を使えとブレイザーに指令しないんですか」の質問にこう答えた。

 「ある人に言われたんだが、そんなややこしいことをするより、思い切って(監督の)首をチョンとしてしまえばもっと簡単だってね。ハハハ」

 もちろんジョークである。もし、監督との「対立」があったとすれば、それはむしろ対マスコミだったろう。理由が分からぬまま時がたった。

 4年後の昭和59(1984)年11月23日、吉田監督の就任会見が行われた日のことだった。その日は「新監督」の他に「新オーナー」(久万俊二郎)と「新球団社長」(中埜肇)も発表された。阪神タクシー社長に“更迭”された小津社長は6年間のタイガースでの思い出を話した。そのなかで“一番の後悔”として「ブレイザー監督の辞任を止められなかったこと」を挙げたのである。

 「岡田の起用問題でブレイザーに非難が集中し、ファンの嫌がらせで奥さんがノイローゼになってしまってね」

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