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【3つの「謎」~百舌鳥・古市古墳群】(下)仁徳陵の被葬者は

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 大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)の巨大古墳の多くは、天皇陵や陵墓参考地として宮内庁が管理し、自由に立ち入りできない。もっとも、古墳築造時の墓域はさらに広大で、隣接の民有地からも埴輪(はにわ)などが出土する。近年これらを詳しく観察することで、古墳の築造年代の絞り込みが可能になった。

 この地の発掘調査を長く担当してきた天野末喜(すえき)・奈良大非常勤講師(考古学)は平成22年、研究成果をまとめて主な古墳の築造年代を約20年幅で決める論文を発表した。それをもとに作成したのが別表「百舌鳥・古市古墳群の『200m超古墳』と築造時期」だ。

 天野氏はこの表と、「倭の五王」と呼ばれる古代中国の歴史書「宋書(そうじょ)」に登場する5人の王の最初の遣使の時期とを比較検討し、五王の墓を次のように推測している。

 (1)讃(さん)=仁徳天皇陵古墳(2)珍(ちん)=土師(はぜ)ニサンザイ古墳(堺市)(3)済(せい)=允恭(いんぎょう)天皇陵古墳(藤井寺市)(4)興(こう)=白鳥陵(はくちょうりょう)古墳(羽曳野市)(5)武(ぶ)=仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳(藤井寺市)

 また天野氏は、応神天皇陵古墳(羽曳野市)の被葬者を「讃の先代」と考えている。讃を仁徳とみる説に立つなら、仁徳陵古墳と応神陵古墳、さらに允恭天皇とされる済の墓も宮内庁の治定(じじょう、指定の意)通りとなる。

 一方で、珍(反正天皇か)と興(安康天皇)、武(雄略天皇)は治定と異なる。土師ニサンザイ古墳は宮内庁が「陵墓の可能性」とする陵墓参考地、白鳥陵古墳は大王(天皇)ではなかったが、仲哀天皇の父とされる日本武尊の墓に充てているものだ。

 また宮内庁が定める仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳、墳丘長240メートル)は、周辺から5世紀末の埴輪が出土し、この時代で最大の規模を誇る。このため4世紀半ばとされる仲哀天皇(系譜上は応神天皇の父)の墓ではありえず、雄略天皇の陵にふさわしいとの見方が強くなっている。

 現在の陵墓は、大半が幕末から明治にかけて治定された。その際の根拠とされたのは、10世紀にできあがった史料「延喜式(えんぎしき)」に記された陵墓の管理台帳「諸陵及陵戸名籍(しょりょうおよびりょうこみょうぜき)」だった。

 「国家として天皇陵を管理しようという発想は、持統(じとう)天皇の時代(7世紀末)に始まった。延喜式は、天皇陵を確定していく作業の成果を基にまとめられたもの。しかし簡単に決まったケースと、そうでなかったものがあった」

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