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【お城探偵】千田嘉博 金箔瓦出土の駿府城 「秀吉の城」説を考える

 平成30(2018)年に静岡市は、駿府(すんぷ)城(同市葵区)から金箔瓦を発見したと発表した。この金箔瓦は秀吉の命で家康転封後に駿府城主になった中村一氏(かずうじ)が葺(ふ)かせたもので、駿府城は「秀吉の城」だったとする。

 しかし、発掘された石垣を見ると、一氏の時代にすべてできたとは断定できない。さらに、出土した瓦は凹部に金箔を貼っていて、これは信長スタイルである。一氏が秀吉の命で、家康を牽制するために金箔瓦を葺いたとするのであれば、わざわざ信長スタイルの金箔瓦を用いる理由が見付からない。

 家康は小田原の戦いの前の天正13(1585)年から同18(1590)年まで駿府城を居城にしており、同16(1588)年には天守が完成したと伝えられる。実は一氏時代と発表された石垣は、家康の最初の居城時代の石垣を基本にしていて、その城に家康が信長スタイルの金箔瓦を葺いたと考えるのが、もっとも整合的なのではないだろうか。

 一氏時代の天守台とする石垣も天守台としては大きすぎて、本丸石垣の一部と理解する方が穏当である。やっぱり駿府城は「家康の城」だと思う。   (城郭考古学者 千田嘉博)

     ◇

【用語解説】駿府城

 徳川家康が天正13(1585)年に築城開始。家康は江戸にいったん移ったが、大規模な改修を経て慶長12(1607)年に戻り、元和2(1616)年にこの城で没した。5重(6重とも)の巨大天守は、寛永12(1635)年に焼失。明治に入ると建物は取り除かれ、天守台や堀の一部は壊された。平成元(1989)年の巽櫓(たつみやぐら)以降、東御門や坤(ひつじさる)櫓が復元された。

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