PR

産経WEST 産経WEST

「訴えが裁判所に届いた」ハンセン病訴訟判決 原告の男性

ハンセン病家族訴訟で熊本地裁が国に賠償を命じ、掲げられた勝訴の垂れ幕=6月28日、熊本地裁前
ハンセン病家族訴訟で熊本地裁が国に賠償を命じ、掲げられた勝訴の垂れ幕=6月28日、熊本地裁前

 ハンセン病患者の隔離政策により患者家族も差別を受けたとして、元患者の家族561人が国に損害賠償を求めた訴訟で、熊本地裁は28日、国の責任を認め、賠償を命じる初の判決を言い渡した。原告の一人で四国在住の70代の男性は同日、産経新聞の取材に応じ、「法廷で判決を聞いた。原告の訴えが裁判所に届いた、勝ったと実感している。訴訟を起こしてから約3年。長いようで短かった」と喜びを語った。

 男性が小学6年のとき、ハンセン病と診断された父親は高松市の国立療養所「大島青松園」に入所した。家の中も外も消毒され、一緒に遊んでいた友達に仲間はずれにされるようになった。「冷たい態度やいじめに、とてもつらい思いをした」と振り返る。

 中学生の頃に転居して環境が変わると「父親は死んだ」と存在をひた隠しにした。だが、就職試験の面接では正直に病名を打ち明けた。それを聞いた面接官たちは小声で話し始めた。結果は、予想通り不採用。「父親の病気のせいで差別され、『なぜこんな目に遭わなければいけないのか』と父親を恨んだ」

 だが結婚し、子供をもうけて初めて、家族と引き離された父親の心情を想像できるようになった。「子供の成長を見守ることもできず、つらかっただろう」と涙があふれた。

 男性は後に、大島青松園から父親を呼び寄せ、一緒に暮らした。平成17年、父親は体調を崩して大島青松園に戻り、ほどなく他界した。「子供の頃、船で父に面会に行った帰り際、いつも桟橋で見送ってくれた姿が忘れられない」

 訴訟では、支援を呼びかける集会で体験を語り、国会議員への要請活動にも参加した。「女手一つで子供を育て、苦労した母親が生きているうちに国に謝罪してほしい」という思いからだった。

 待ち望んだ判決内容。男性は「判決が出ても、これまでに受けた差別がなくなるわけではない。国は控訴せず判決を受け入れてほしい」と訴えた。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ