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飯盛城跡 信長に先んじて広範囲に石垣を整備 大阪・大東市教委

平成30年の調査で発見された飯盛城跡の石垣(大東市教委提供)
平成30年の調査で発見された飯盛城跡の石垣(大東市教委提供)

 戦国武将、三好長慶(ながよし)(1522~64年)が居城とした飯盛城跡(大阪府大東市、四條畷市)で広い範囲を覆う石垣が見つかったと大東市教育委員会が発表した。発見された石垣約100カ所のうち約半数が、長慶が居城した時期に整備されたとみられる。築城に石垣を用いる手法は織田信長が最初だとされていたが、それより早いという。市教委は「石垣を多用する築城を信長よりも先んじて計画実行していたことは貴重な発見だ」としている。

 飯盛城は、大東市と四條畷市にまたがる飯盛山(314メートル)に築かれた山城で、東西約400メートル、南北約700メートルと全国屈指の規模を誇っていた。大東市では、平成28年から30年にかけて市域の南側で初の本格的な調査を実施。城の南側で居住部分と考えられている「千畳敷郭(くるわ)」周辺で、推定で長さ30メートル、高さ4メートルの石垣を発見した。直前まで居城していた芥川山城(同府高槻市)には広範囲にわたっての石垣は見られないという。

 築城方法に関して、本格的に石垣を用いたのは安土城(1576年)を築いた信長からとされていたが、飯盛城の石垣は、さらに十数年前の60年ごろとみられる。市教委は「石垣を用いた築城における歴史の変遷の一端が明らかになった」としている。

 確認できる記録では、飯盛城は30年ごろに戦国武将が居城。その後、城主が代わり、長慶が入城したのは晩年の60年だった。その頃、長慶は室町幕府の13代将軍、足利義輝を京都から追放し、畿内を中心に勢力を拡大しており、信長に先んじて天下を治めた人物として近年注目を集めている。

 市では調査の結果をまとめ、早ければ令和3年に国の史跡を目指す。

 調査結果の報告会が7月20日午後1時、四條畷市市民総合センターで開かれる。無料。定員700人。

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