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【虎番疾風録第3章】(7)人脈なし?ブレイザーへ不信感

 手ぶらで日本にやってきたブレイザー監督に、阪神球団首脳たちはショックを隠せなかった。

 「電話だけとは…。どうして会いに行かないんだ。ルートを持っていないのなら、初めから球団に任せてくれてればよかったんだ」

 大リーグのカージナルスで内野手として活躍。1958年のオールスターゲームに出場するなど、50年代後半のメジャーリーグを代表する選手だったブレイザー。その後、ジャイアンツやレッズ、セネタースなどに所属。経歴だけをみれば大リーグに太いパイプを持っていてもおかしくはない。だが、実際はその逆であった。昭和54年12月にカナダのトロントで開催されたウインターミーティングで聞かれたブレイザー評は悲惨なもの。

 (1)カージナルス時代の同僚がほとんど大リーグ球界の要職についていない。

 (2)十数年も米球界を離れ、その間の交流がない。

 (3)外国人選手を1年で入れ替えるので、大リーグ関係者からの信頼がない。

 こんなブレイザーに頼って、本当にいい選手が取れるのか? 編集局でも懸念する声があがっていたほど。

 「そういやぁ、南海のコーチ時代にも、これといった選手は来てないなぁ」。小津球団社長は苦笑するしかなかった。ブレイザー監督退団の原因が本当に小津社長との「確執」であったなら、その発端は、このとき芽生えた小さな“不信感”だったかもしれない。

 フローレス獲得の失敗は新たな展開を呼んだ。ヤクルトを自由契約となったヒルトンのブレイザー監督への“売り込み”が激しくなったのである。監督も「彼を取ってほしい」と球団に申し出た。だが、小津社長は獲得に消極的だった。

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