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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部】(8)「すべての日本人を大卒にしたい」夢を託した通信教育

通信教育のスクーリングで講話を行う世耕弘一氏(近畿大学提供)
通信教育のスクーリングで講話を行う世耕弘一氏(近畿大学提供)
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 近畿大学を創設して総長を務めた世耕弘一は「学びたい者に学ばせたい」という言葉通り、通信教育への取り組みに力を注いだ。

 弘一が教育者として最も強く考えたことが「教育の機会均等」の問題だった。自身が家庭の事情で中学進学を断念し、木材会社で働いたり、満州(現中国東北部)に稼ぎに出かけたりしながら勉強することを目指し、人力車を引く苦学生として日本大学で学んだことで人生を切り開いた弘一は、意欲ある人のすべてに等しく学問する機会を与えたいと考えていた。

 元近畿大学建学史料室長の當仲將宏(とうなか・まさひろ)は「総長は特にお金がなくて大学に通えない人のことを考えていました」と振り返る。

 「私の夢は、日本国民のすべてを大学の卒業生にすることだ」

 當仲は、弘一がこう語ったことをいまのことのように覚えている。

 近大建学史料室発行の弘一の伝記「炎の人生」(田島一郎著)によると、昭和30年ごろ、大学卒業直後の三男の弘昭(後に近大理事長、通信教育部長)に通信教育の準備を命じたが、その際、元米大統領のトルーマンの話題をひきあいにこう語った。

 「トルーマンは家庭の事情で大学に進学できなかったが、その向学心を救ったのが通信教育だった。第一次大戦でヨーロッパへ出征中、塹壕のなかまで教材が届けられ、これでトルーマンは大学を卒業したのだ。学びたいけれど、その機会がない、そうした者にとって通信教育は、願ってもない制度だ。近畿大学でも始める。お前、やれ!」

 通信教育は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指示で始まったが、法政大や慶応大など関東の大学ばかりで、関西の大学は認可されていなかった。弘昭が弘一から託されたミッションは通信教育の認可を近大にもたらすことだった。

 こうして近大は関西の大学でいち早く32年に短期大学部通信教育部商経科を開講し、さらに35年に4年制の通信教育法学部法律学科を設置した。弘一は40年に亡くなるまで自ら部長を務めた。

 當仲によると、当初は学生がなかなか集まらず、弘昭をはじめ教職員らを動員し、苦労して街頭で学生募集のビラを配った。

 通信教育でも必要となるスクーリング(面接授業)の環境整備にも苦労した。エアコンなどのない時代、真夏に行われるスクーリングは教室に畳を敷いて準備して蚊帳をつったり、暑さ対策として涼しげな金魚バチを買ってきて教室に並べたりした。

 現在、通信教育部では約6千人が学び、通信教育課程の卒業生はこれまで4万4234人に上り、近大の卒業生の1割近くに上っている。

 弘一、弘昭の後を継ぎ、通信教育部長を務めている弘昭の次男で総務部長の石弘(いしひろ)はこう語る。

 「意欲ある者に学ばせたいという創設者の思いを今も引き継いでいるのが通信教育。ネット化などの変化に対応しつつ、原点であるその思いをさらに発展させていきたい」   (松岡達郎)   =敬称略

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