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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部】(2)「大専騒動」収拾させ、求められるまま大専校長に就任

 弘一は、ひとり大阪に残って事態の収拾に乗り出した。

 学内で対立するグループや学生、保護者らと誠実に向き合って意見や要求を聞き取り、解決の糸口を探った。陸軍の大阪師団本部や文部省、大阪府とも真摯(しんし)に協議を重ねたが、一筋縄にはいかなかった。さすがの弘一も進退窮まったことがあるが、「手を引くことになれば、日大に人なしと断ぜられることとなり、日大全体の面目にかかわる」と思い直し、交渉を続けている。

 弘一は、あくまで真摯に当事者や当局などと解決策を協議すると、軍部に信頼されるようになり、やがて新たな配属将校が着任。事態は次第に正常化していった。このときには騒動の発端となった校長らは辞任し、弘一が学校運営の中心になっており、関係者に求められるまま校長代理を経て19年中に校長に就任した。そして日大のために事態収拾に乗り込んだ弘一は、その日大を辞し、大専の日大からの完全な分離独立を成し遂げた。

 永井は「大専騒動史」でこう書いた。

 「若し世耕氏の不退転の度胸と、教育に対する信念がなかつたなら、大専は軍部の蹂躙(じゅうりん)に潰(つい)えていたろう」(松岡達郎)=敬称略

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