PR

産経WEST 産経WEST

【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部】(1)志願者数日本一の大学づくりの原点「大衆のための大学」を目指す

近大マグロの原寸大レプリカ(寺口純平撮影)
近大マグロの原寸大レプリカ(寺口純平撮影)
その他の写真を見る(1/2枚)

 世耕弘一が創設した近畿大学はいま、日本の大学で最も入試の志願者を集めることで知られる。

 令和元年にキャンパスライフを本格化させた新入生を選抜した平成31年度一般入試の志願者数は実に延べ15万4672人。26年度入試で首都圏以外の大学で初めて日本一になって以降、6年連続でトップの座を守り続けている。

 関西の一私大の知名度を一躍全国区にして、志願者増の原動力となった「近大マグロ」は、弘一が昭和23年に設立した近大水産研究所(発足時・白浜臨海研究所)で誕生した。この研究拠点は、弘一が戦後の食糧難の時代に陸上の農産物の増産だけでは不十分だとして海産物の養殖研究に乗り出し、「海を耕せ」と号令をかけたのが始まりだ。

 「不可能を可能にするのが研究じゃないか」

 弘一は、研究者をこう励ました。養殖といえばコイなどの淡水魚が主流だった時代、漁業関係者さえ半信半疑で本気にしない中、マダイやヒラメ、ハマチなどの養殖技術を確立。育てた養殖魚を売って研究費を工面しながら平成14年、実現不可能といわれたクロマグロの完全養殖に成功した。これが近大マグロだ。

 「それまでにない独創的な研究に挑むこと。そして、その研究成果を社会に生かし、しかも収益を上げること」

 弘一は、近大の実学教育について、こう説明した。「近大の研究を多くの人がまねをして産業になっていく。そういう研究をやろう」とも語った。その意味で研究の成果を実用化し、養殖業につなげた近大マグロなどの研究は近大の実学教育の象徴だ。

 今年3月、近大などのチームがシベリアの永久凍土で眠っていたマンモスの化石から採取した細胞の核が「死んでいなかった」ことを世界で初めて確認したと発表し、話題を呼んだ。目指す「マンモス復活」への布石だが、これも不可能を可能にするDNAが受け継がれた結果といえる。

 もうひとつ、弘一が言い続けたのが「学びたい者に学ばせたい」だ。

 やはり、経済的な事情などで中学への進学を断念、人力車の車夫として苦学しながら日本大学で学んで人生を切り開いただけに、意欲ある若者には学ぶ機会を与えたいという気持ちが人一倍強かった。このため「開かれた大学、大衆のための大学」を目指し、通信教育への取り組みにも情熱を傾けた。

 これが口先だけでないことは昭和21年の連合国軍総司令部(GHQ)の通達無視事件でわかる。

 GHQが旧日本軍関係の学校出身者の大学合格者の制限を通達した際、弘一は合格点に達したすべての受験生の入学を認めた。当然GHQからのクレームが来たが、弘一は「陸、海軍の諸学校に籍を置いたことを理由に、前途有為の青年の芽を摘むのは国の将来にとっても大きな損失だ」と反論した。

 「倒れざる者」は弘一の苦学生時代と政治家人生を描いてきた。第3部は、近大を創設した教育者としての足跡をたどりたい。(松岡達郎)=敬称略

     ◇

 せこう・こういち 明治26年、和歌山県生まれ。大正12年に日本大学を卒業。ベルリン留学を経て日大で教授、理事などを歴任した。昭和7年、衆議院議員選に初当選(以降当選8回)。24年に近畿大学を創設し初代総長を務めた。34年に経済企画庁長官に就任した。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ