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豊臣政権期の武家屋敷遺構 奈良・郡山城跡で見つかる

豊臣政権期の武家屋敷跡とみられる建物遺構=奈良県大和郡山市
豊臣政権期の武家屋敷跡とみられる建物遺構=奈良県大和郡山市

 奈良県大和郡山市の郡山城跡で、豊臣政権期の武家屋敷跡とみられる建物遺構が初めて見つかり、市が8日発表した。郡山城三の丸に武家屋敷があったことは江戸時代の絵図から明らかになっているが、今回の調査で建物遺構を覆う盛り土層から16世紀末頃の遺物が出土し、調査担当者は「最も古い遺構は豊臣政権期にさかのぼる」としている。

 郡山城は天正8(1580)年、大和を統一した筒井順慶が築城。その後は豊臣秀吉の弟、秀長らが居城とした。三の丸には、江戸時代に家老ら重臣が住んだとされる「五軒屋敷」があった。

 市は新庁舎の建設工事に伴い、かつて五軒屋敷があった庁舎北側の駐車場で2月下旬から調査を開始。調査区の南東部分では、武家屋敷とみられる建物の礎石が東西約2・5メートル、南北約7メートルの範囲で多数見つかった。礎石はさらに東に広がっている可能性が高いという。遺構を覆う盛り土層からは、16世紀末~17世紀中頃の陶磁器や瓦質土器といった遺物が出土。これにより、武家屋敷が豊臣政権期から存在していたことが裏付けられたという。

 調査区の中央部分では、屋敷を区画したとされる南北溝2本(幅約70~90センチ、深さ約20~30センチ)、西側では貯水池とその排水施設と考えられる土杭も見つかった。南北溝は17世紀中頃~18世紀中頃、土杭は19世紀のもので、いずれも五軒屋敷の一部と考えられる。

 調査を担当した市都市計画課文化財保存活用係の青山加奈子さんは「三の丸の機能の変遷が明らかになったことは、郡山城の築城過程を考える上で重要な成果になる」と話している。

 現地説明会は11日午前10時~午後3時。駐車場の利用はできない。問い合わせは市都市計画課文化財保存活用係(0743・53・1151)。

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