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「本業と無関係」「10年かかる」 キャビア養殖に挑む電線メーカーの生き残り術

 会社の「お荷物」だった医療器具開発

 80年代後半、カテーテルは米国製が主流だった。そのため、日本人の体の大きさに合うものの開発が求められていた。カテーテルなら、ケーブル技術を応用しながら、全く新しい商品開発ができるのではないか、と考えたのだ。

 しかし、緻密な技術を要する医療器具の開発は、すぐにはうまくいかない。体の中に入れるものだから、使える材料は限られている。その制限がある中で、「外径は小さく、内径は大きい」チューブを作らなくてはならない。多額の投資をし、開発にも時間がかかったが、その間にも海外製はさらに細く改良されており、さらなる研究が必要になった。着手して2年後の92年、ようやく初めての製品の生産を始めることができた。

医療用カテーテルのチューブ
医療用カテーテルのチューブ
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 その後も毎年4000万~5000万円かかる設備投資や研究開発の難しさがハードルとなり、医療事業はなかなか黒字にならなかった。その間、医療事業は社内で「お荷物」扱い。莫大な設備投資をしても、赤字を垂れ流すばかり。他の部署からは「いつまでやってるんだ」「道楽じゃないか」などと言われ続けた。

 しかし、何年もかけて取り組んできた研究は少しずつ実を結んでいく。確実に技術力は上がっていた。海外メーカーと並ぶほどの製品を提供できるようになり、事業部を立ち上げてから10年後の2002年、ついに黒字化した。

 3代目の金子社長が就任したのはちょうどそのころ。05年だった。当時、医療事業が黒字になったものの、会社としては危機にあえいでいた。03年には過去最大規模の赤字を計上。携帯電話の普及や公衆電話の減少などによって、コードの売り上げが伸び悩んでいたのだ。

 危機的な状況だったが、医療事業が黒字化していたことが救いとなる。医療事業の将来性が銀行にも認められ、融資を受けることができた。どんなに苦労しても、新しいことに取り組み続けてきたことが、会社の危機を救ったのだ。

 その後も医療事業は拡大。カテーテル用チューブの供給量で国内トップにまで上り詰め、会社の売り上げの過半数を占めるまでに成長している。

 ゼロから生み出す新事業、二つの条件

 倒産の危機を迎えていたころ、38歳で就任した金子社長は、就任から最初の9年間を第1ステージと考え、会社の立て直しに力を注いだ。リストラもしながら、将来性のある医療事業への投資を強化。ケーブル事業でも、需要拡大が見込める産業用ロボットの分野に参入した。その結果、停滞していた売上高は成長基調に変わり、営業利益率10%も達成した。

ケーブル事業では、ロボット分野に参入
ケーブル事業では、ロボット分野に参入
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