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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第2部】(7)「電報為替にてお願いできれば…」書簡が物語る綱渡りの留学費の工面

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世耕弘一氏が利用したとみられるベルリンのアンハルト駅が描かれた絵はがき(近畿大学所蔵)
世耕弘一氏が利用したとみられるベルリンのアンハルト駅が描かれた絵はがき(近畿大学所蔵)

 世耕弘一は大正12(1923)年から昭和2(1927)年にかけてドイツに留学したが、学費と生活費の工面に苦労した。2年の予定を3年以上、足かけ5年に延長したのだからなおさらだ。

 「私がドイツに着いてから、東京が震災でやられたくわしいことを知った。日本大学も壊滅して復興に全力を尽くすことになったので、日本大学からの留学費は一年分ぐらいしか頂けなかった」

 弘一は後に書いた「ドイツ留学の憶(おも)い出」でこう振り返る。

 日大側の記録によると、大学からの給費額は2700円。神戸港からフランスのマルセイユまでの旅費は2等客室の670円だったため渡航費を除いた約2000円が「1年分くらいの学費」とみられる。

 「次の1年間は自分の金でやりくりし、その後は紀州の徳川家から借りた金で1年半、更に同じ紀州の先輩で政治家の岡崎邦輔さんから借りた金で1年半…」

 弘一はこうして留学費をつないだ。岡崎は陸奥宗光の従弟(いとこ)で、陸奥が衆議院議員を引退した際に後継になった人物だ。実家からの送金も受けた。和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡の実家の近くには郵便為替を扱う郵便局がなく、送金手続きに奈良県五條市まで兄たちが130キロの道のりを歩いたといわれる。

 綱渡りの資金繰りだったことを物語るのが、ドイツ到着からほぼ1年後の13年10月に日大学長の山岡萬之助(後の総長)に送った2通の書簡だ。

 〈実は昨年の地震の影響で確定的な学費の出所を失い色々と苦心して方法をこうじて今日まで切りぬけました。深川の材木店の方へもその後交渉の結果、本月初めに送金するように決定し、その予定でありましたが、突然本日電報にて本年内の送金は不可能の旨打電に接しました〉

 書簡を発見、解読した近畿大学名誉教授の荒木康彦によると、10日投函(とうかん)のものはかつての勤務先とみられる材木店から送金を受ける約束だったが、突然できなくなったとの連絡で窮してしまった。来春には実家から送金があるが、その間の学費の融資を頼んでいる。

 〈ご送金お取り計らい頂ける場合は、電報為替にてお願いできれば、非常に幸いに存じます〉

 電報為替での送金を求めたことからも切迫していたことがうかがわれる。

 書簡は航空便で送られたが、それでも不安だったのか、確実に山岡のもとに届くように翌11日にも汽車便で同じ内容の書簡を送っている。結局、2通とも受け取った山岡が動いた。

 荒木は「山岡は弘一の実家に働きかけ、紀州の徳川家や岡崎邦輔から融資を受ける段取りをつけたと推察されます」としている。(松岡達郎)=敬称略

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