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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第2部】(6)ドイツ留学の生活環境…下宿先の家族と信頼関係築く

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下宿先のウイルデ夫人(左)と世耕弘一氏=大下宇陀児「土性骨風雲録」(鏡浦書房)所収写真
下宿先のウイルデ夫人(左)と世耕弘一氏=大下宇陀児「土性骨風雲録」(鏡浦書房)所収写真

 世耕弘一は1923~27年のドイツの留学中にベルリン市街のハンス・ウイルデ家の住む2階建ての家に下宿していた。

 弘一が後に書いた「ドイツ留学の憶(おも)い出」によると「初めは、何かだまされて下宿したというかっこうだった」。人の紹介で下宿した大家はハイパーインフレーションの影響で生活に困窮し、水道や電気の料金も満足に払えない状況。もともと軍隊へ服などを納入する御用商人だった主人は第一次世界大戦の敗戦後は化粧品問屋の支配人のようなことをしていたが、慣れない仕事で生活に困窮していた。奥さんはフランス語も英語も話せる相当のインテリだったが、感情の起伏が激しかった。前に下宿していた日本人は10日ももたずに出て行ったという。

 最初のうち、奥さんは二言目にはこう弘一をなじった。

 「お前なんかを下宿させる家じやない」

 「お前のようなチンチクリンのどす黒い鼻の低い奴なんかおくんじやないが、これも戦争で負けたのだから仕方ない」

 さすがの弘一も腹が立った。ただ、まさか殴るわけにはいかず部屋で卵を壁にぶつけて憂さ晴らしをしていた。そのうち「俺はドイツに勉強に来ているのだ。こんなヒステリー女に負けてはならない」と冷静になり、逆に奥さんを慰めるようになった。水道や電気の料金が払えないときなどは融通がつく限り払ったり、クリスマスにツリーを買えなくて幼い子供が泣いて奥さんを困らせたときには、こっそり市場でツリーを買って飾ってやったりした。

 そうして、他の家族たちとも打ち解けていった。日本からの送金が遅れたときには、奥さんは自分の持ち物で金を借りて「お前は心配することはない。勉強していればよいのだ」と言ってくれるようになった。

 弘一が留学を終え、帰国するときには下宿先の家族から「悲しくなるから帰ることは話すな。帰るときはすうっと帰るようにしてくれ」と言われたりもした。

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