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【昭和39年物語】(51)第2戦「快投バッキー」…ここぞの完投

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腕の長い阪神・バッキーの投球フォーム
腕の長い阪神・バッキーの投球フォーム

 昭和39年、阪神優勝の“立役者”は、文句なくバッキーである。1937年8月12日生まれ、当時27歳。入団3年目、シーズン29勝9敗、防御率1・89。最多勝利と最優秀防御率の2冠を獲得。外国人選手として初の「沢村賞」にも輝いた。テスト入団。だから他の外国人選手のような“特別待遇”はなかった。

 「遠征先の宿舎もワシらと同じ。部屋もざこ寝部屋やった。浴衣のサイズが合わなくて、いつも足のすねまで出しとったよ。食事も一緒、遊ぶのも一緒。通訳? そんなもん付けてもらえるかいな。けど、アイツにはそれが良かったんかもしれんね」と本間は振り返る。

 37年7月20日、神戸市の川崎重工グラウンドでバッキーはテストを受けた。藤本監督、青田ヘッドら首脳陣が見守る中での投球。緊張し過ぎたのか、スピードもコントロールもなかった。コーチたちの採点は「×」。ところが、藤本監督は「おもろいカーブを投げよる」と興味を示した。そこで監督の指示で浅越、三宅博、石田へのレギュラーバッティングに登板。見事、3人をカーブで仕留めた。

 バッキーにとって藤本監督は人生の“恩人”となった。その献身ぶりはまるでボディーガード。リーグ優勝を決めた9月30日も、監督めがけて殺到するファンの前に大きく両手を広げて立ち塞がり、藤本監督を守った。そのバッキーが第2戦に投げた。

 ◇第2戦 10月2日 甲子園球場

 南海 000 000 110=2

 阪神 100 102 01×=5

 (勝)バッキー1勝 (敗)杉浦1敗

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