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仲邑菫さんも修業した囲碁「関西棋院」 始まりは反東京

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 26年、本因坊を保持していた橋本九段の防衛戦が行われた。関西棋院の棋士たちは、収入源など苦境に陥ったとはいえ、唯一のタイトルである本因坊を保持した橋本九段が君臨するからこそ、独立したばかりの組織である関西棋院に一定の発言力があった。橋本九段が本因坊を失えば、関西棋院の存在そのものを忘れ去られ、次から予選にすら参加できないのでは、という危機感があった。「東京何するものぞ、という雰囲気でした」と東野九段は振り返る。

 挑戦者は坂田栄男(えいお)九段。橋本九段は関西棋院の存亡を、坂田九段は日本棋院のプライドを懸けて対戦した。

 七番勝負は橋本九段の1勝3敗。崖っぷちとなり、だれもが敗北を覚悟した第5局、橋本九段は勝利を収め、3連勝で逆転防衛を果たした。タイトルを防衛しただけでなく、生まれてまもない関西棋院という組織そのものを守ったのだ。

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 その後、昭和20年代から30年代前半にかけ、各新聞社が棋戦を開始。産経新聞も29年、十段戦の前身となる早碁名人戦を開催している。棋戦が増えるにしたがって東西のあつれきは薄まり、争いの舞台は盤上に移った。橋本九段をはじめ、橋本昌二九段、半田道玄九段ら関西棋院の棋士が七大タイトルをいくつも獲得。存在感を示した。

 来年、関西棋院は設立70年を迎える。第57期十段戦で井山裕太十段の挑戦者に決まっている村川大介八段(28)らトップ棋士をはじめ、韓国、台湾、アメリカなど海外出身の棋士も含め、男女合わせて138人が在籍。中国や韓国など、世界の強豪に対抗するため、関西棋院、日本棋院ともに日本の囲碁界を盛り上げている。(中島高幸)

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