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仲邑菫さんも修業した囲碁「関西棋院」 始まりは反東京

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 現在囲碁界には七大タイトル戦がある。しかし当時は本因坊戦のみ。そのただひとつのタイトルを握っていたのが、関西勢のトップ棋士、橋本宇太郎(うたろう)九段だった。橋本九段は、本因坊戦が創設されてまもない第2期(昭和18年)に本因坊に。その後はタイトルを失ったが25年、岩本薫九段から2度目となる本因坊を奪取する。トップ棋士、関西にあり。「これを機に独立すべきだ」。独立の機運が高まった。

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 一方、関西勢の中にも、独立は得策ではない、と主張する協調派の棋士たちもいた。独立しても棋士の数は少なく、対局も減る。生活していけなくなり、現実的ではない、とする意見だ。

 独立派と協調派に分かれたが、間もなく橋本九段を盟主とした独立派が、二十数人で日本棋院を飛び出し、25年9月「関西棋院」を設立する。そして残った協調派は、「日本棋院関西総本部」を立ち上げた。

 翌年の26年、橋本九段門下で入段した東野(とうの)弘昭九段(79)は当時を振り返り、「所属が師弟で分かれることもあった」と話す。

 日本棋院は、関西棋院には厳しい対応をとった。関西棋院所属の棋士は、日本棋院所属の棋士とは対局ができなくなった。対局による収入や、新聞への棋譜の掲載料などが減り、特に低段の棋士の生活は苦しくなった。東野九段は「橋本先生が、詰め碁の原稿料を棋士の手当として分配していたようです」と話す。

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