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仲邑菫さんも修業した囲碁「関西棋院」 始まりは反東京

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昭和20年代後半、関西棋院を立ち上げた橋本宇太郎九段(左から2人目)の囲碁道場の様子=(東野九段提供)
昭和20年代後半、関西棋院を立ち上げた橋本宇太郎九段(左から2人目)の囲碁道場の様子=(東野九段提供)

 1月5日、日本棋院は、大阪市の仲邑菫(なかむら・すみれ)さん(9)が、4月に史上最年少のプロ棋士としてデビューすることが決まったと発表した。菫さんが所属するのは日本棋院関西総本部。一方、菫さんは韓国に留学する直前の平成29年には関西棋院で修業していた、という。「日本棋院」と「関西棋院」、2つの組織の名前に、あれっ、と思った人もいるかもしれない。

 日本棋院も関西棋院も囲碁のプロ組織で、日本棋院は本拠地が東京、関西棋院は大阪。別の組織だが協力関係にある。

 だがかつては、たもとを分かっていた時期があった。もともと両者はひとつの組織だったが、昭和25年、東京の中央集権体制に反発した関西の一部棋士らが日本棋院から独立、設立したのが関西棋院だ。

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 日本の囲碁界は、さまざまな組織が離合集散を繰り返した末に、大正13年に創立した日本棋院にまとまっていた。しかし、日本棋院は東京に本拠があり、囲碁界は自然と東京中心に。戦災に遭った日本棋院は戦後、復興するのだが、関西の棋士への冷遇が目立つようになった。

 たとえば、五段以上の場合は、昇段試験は東京で対局しなければならなかった。さらに、四段以下の棋士が東京で対局するためには、資格審査が課せられた。新幹線のない時代、東京に赴くには一日がかり。しかも自費だ。宿泊先も確保しなければならない。棋戦のたび、戦う前から関西棋士たちはそんなハンディを背負わされた。関西棋士の間では、不満がくすぶっていた。

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