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【倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第2部】(2)「三人前の仕事をやってのける」留学前の決意表明に喝采

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ドイツ留学に出発する前の世耕弘一氏(左)=近畿大学所蔵
ドイツ留学に出発する前の世耕弘一氏(左)=近畿大学所蔵

 世耕弘一は、朝日新聞社に採用されたばかりの大正12年4月末、母校の日本大学からドイツ留学の内命を受けた。専攻科目は経済学だった。

 9年に大学令に基づく私立大学に昇格したばかりの日大は、卒業生を積極的に留学に派遣していた。背景には大学令で「相当数の専任教員を置くこと」と定められていたことがあった。「日本大学百年史」によると、当時は教員のほとんどを帝国大学・司法省・裁判所などの関係者を講師に招聘(しょうへい)してまかなっており、優秀な卒業生を選抜し海外へ派遣留学させ、新知識を身につけ実力を養って帰国して専任の教員として採用していたという。

 この時期、日大は多くの留学生をドイツに派遣していた。日大広報課の高橋秀典は「学問の面もさることながら、第一次世界大戦後にドイツ通貨のマルクの相場が下落したことで、留学費用が少しでも節約できたこともあるといわれています」と説明する。

 このため、日大の留学生として派遣されることは将来的に日大の専任教員になることを意味するだけに、朝日新聞と日大の間での協議で解決が図られたとみられる。

 弘一の生涯を研究する近畿大学名誉教授の荒木康彦の調査によると、大正12年の大阪・東京朝日新聞本社の人事異動の記録に弘一の項目があり、発令月日には7月11日のスタンプが押されていた。給与は「報酬無シ」▽辞令は「在歐中通信(ざいおうちゅうつうしん)ヲ嘱託ス」▽所属は「私立日本大学独乙(ドイツ)留学生」と記載されており、職名は「空白」だった。

 この記録を踏まえ、荒木は「日大の留学生として大正12年7月11日に朝日新聞社から報酬なしでヨーロッパ滞在中に記事を送ることを委託されたことがわかります」と説明する。

 日大新聞によると、8月8日、東京の西洋料理店で送別会が開かれた。宴を前に記念撮影をしようとしたところ肝心の弘一の姿がない。心配しているとモーニングを着込んだ弘一が汗をかきながら駆けつけた。

 宴では、弘一は「あちらへ行ったらピアノとダンスとそれから語学を大いにやるつもりで、経済学はそのつけたり」と挨拶し、学問だけでなく、文化や社会などにも広く目を向けると決意を表明した。

 文部省からは欧州各国の宗教制度調査を嘱託されていたこともあり、弘一は「大学時代から三人前の仕事をやる主義であったが、今度は本学の留学生と朝日新聞、文部省の両方に関係しているので三人前をやってのける。私の通信が朝日に出たのをご覧くださらば幸いに世耕はやっているなと思っていただきたい」とも語り、会場の喝采を浴びた。(松岡達郎)=敬称略

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