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【虎番疾風録第2章】(26)「悲劇のヒーロー」の誕生

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江川ー小林のトレードを真夜中に発表する阪神・小津社長(左)と巨人の長谷川代表
江川ー小林のトレードを真夜中に発表する阪神・小津社長(左)と巨人の長谷川代表

 小林への説得は、ホテルから東京・大手町の読売新聞本社に場所を移して行われた。そして羽田空港を出てから約12時間後の午後11時30分、小林はついにトレードを承諾した。日付が変わった2月1日の午前0時18分、読売新聞本社の会議室で、巨人・長谷川代表と阪神・小津社長が2人並んで、トレード成立を発表した。

 「阪神にお世話になることになりました。僕は野球が大好きです。これからもずっとやっていきたい。向こうに行く形は阪神の強い要望で、いやいや行くのではなく、阪神のために精いっぱいやりたい。記者のみなさん、お願いです。僕は割り切って行くのです」

 小林が“悲劇のヒーロー”になった瞬間だった。

 小林繁、昭和27年11月14日生まれ、当時26歳。「因幡の白ウサギ」の物語で有名な鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。自宅の前には大きな公園がありその向こうは日本海が開けていた。由良育英高から社会人野球の「全大丸」(神戸大丸)へ。そこで巨人のスカウトの目にとまった。46年、ドラフト前に小林は「来年の都市対抗に出場して大丸に恩返しをしたい」と指名を辞退したが、巨人は6位で指名した。

 翌47年、宣言通り全大丸は7月の都市対抗に出場。小林は巨人に入団の意思を告げた。ちょうどその年、大の巨人ファンだった父親の進さんが胸の病気で倒れ、「おやじの喜ぶ顔が見たかった」というのが巨人入りを決めた理由だった。その進さんは-。

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