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【石野伸子の読み直し浪花女】複眼のコスモポリタン陳舜臣(6)司馬遼太郎…日本と中国は宿命、隣人の心を書く

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司馬遼太郎とは公私ともども交流が深かった=昭和53(1978)年ごろ、産経新聞の対談で
司馬遼太郎とは公私ともども交流が深かった=昭和53(1978)年ごろ、産経新聞の対談で

 43歳で阿片戦争を書いた陳舜臣は、その後長大な中国歴史小説を相次いで書いている。とりわけ40代、50代の執筆量はすさまじい。

 「秘本三国志」「小説十八史略」「ものがたり水滸伝」「新西遊記」をほぼ同時期に書いた時期もある。

 陳舜臣中国ライブラリー(集英社)は全30巻の中国ものの集大成だが、そこでは「自作の周辺」として執筆にまつわるエピソードをさまざまに語っている。昭和50(1975)年前後、多くの連載を同時進行で書いていたときは、それぞれの資料の読み込みが大変だったと吐露している。

 例えば、「秘本三国志」の基本資料として「後漢書」「三国志」「資治通鑑」などを中国語で読んだこと。すべてを頭に入れることは不可能なので、何度も読み返したため、ぼろぼろになって新しく手に入れたものもあるという。当の中国でも、三国志のドラマは簡略版や絵本や劇などで親しむ人も多い中、原典にあたり、歴史書と照らし合わせ、そこから自分の物語を紡いでいく厳しさ。

 「秘本三国志」のあとがきで、「これはあくまで私の三国志物語だ」と断っている。物語には少容という魅力的な女性が登場し、物語の展開に重要な役割を担うがこれは架空の人物。これこそ「小説家の特権だ」とこう語る。

 「三国志の世界を知るのは、中国の歴史だけでなく、中国人の心の素材を知ることでもあるのです。ですから、自分なりの三国志物語を書きたいと思っていたのです」(中国ライブラリー第13巻・自作の周辺)

 心を書く。それこそ小説家の仕事。

 「阿片戦争」を書いたきっかけも実は「心」の問題だった。初版本のあとがきで、執筆のきっかけとして、アーサー・ウェイリーが林則徐の日記をもとに書いた「中国人の眼を通じた阿片戦争」を読んだことを挙げている。

 ウェイリーは「源氏物語」の英文訳でも知られる才能豊かな東洋文学者だ。陳舜臣はこう語る。ウェイリーはアヘン戦争に特別な関心をもった。しかし、アヘン戦争に関しては当時の記録や資料としての著作は多いものの、中国人がアヘン戦争を書いた文学作品はほとんどない。

 ウェイリーは本来文学の人だ。他の民族の心の深層をとらえようとするとき、文学者ならまず書かれた文学の精髄をつかまえようとするだろう。彼は抜群の語学力の持ち主なのだ。かなり書き手の心に迫ることができる。「源氏物語」はいま多くの国で訳されているが、そのほとんどはウェイリーの英訳本からの翻訳だ。

 しかし、ない袖はふれない。アヘン戦争に関して見るべき文学書がないと知ったウェイリーは林則徐の日記に注目した。これならば当時の中国人の物の考え方をストレートに読み取ることができる。日記を英訳し、解説文をもってつなぐような形で戦争をとらえることで、「中国人の眼を通じた阿片戦争」を「欧米人に紹介する意図をもって」アヘン戦争を描くことができるだろう。

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