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【大阪特派員】日本最古の竹内街道をゆこう 山上直子

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 日本民族と文化の源流を探る紀行集『街道をゆく』がライフワークとなった作家、司馬遼太郎さんには「自分が感動する風景の基準のようなもの」があったという。

 〈私の場合、火山が造った山河よりも、そうでないほうがいい。都市よりも田園がいい。田園は火山灰よりもよく光る腐食土(ふしょくど)がよく、一望の平野よりもけものが逃げかくれしやすい段丘の山麓がいい。(中略)要するに奈良県北葛城郡(きたかつらぎぐん)当麻町(たいまちょう)竹ノ内の景色なのである〉(「竹ノ内街道こそ」から)

 それは母親の実家があって幼少期を過ごした集落の風景だったのだが、ただの集落ではなかった。日本最古の官道(国道)で平成29年、日本遺産に認定された「竹内街道(たけのうちかいどう)・横大路(よこおおじ)(大道)」の一部だったのである。

 もう少し司馬さんの言葉を借りると、万葉集にも歌われた二上山や葛城山(いずれも大阪府と奈良県にまたがる山)が横たわり、当麻寺の塔がうずもれ古墳が緑に重なり、白壁の農家が点在していたというから、まさに悠久の歴史の舞台。

 「もし文化庁にその気があって道路をも文化財指定の対象にするなら、長尾-竹内間のほんの数丁の間は日本で唯一の国宝に指定さるべき道であろう」(『街道をゆく1』)と書いたほどである。

 ところで、一度聞いただけではなかなか覚えられそうにない長い名前のその道とは、いったい何か?

 まず、日本で最初の国道という根拠については、これも最古の勅撰正史『日本書紀』にある。推古21(613)年の条に「難波(なにわ)より京(みやこ)に至る大道(おおじ)を置く」と記されているからだ。推古天皇の御代、聖徳太子が摂政の時代である。

 「京」とは当時の都、飛鳥(奈良県)のこと。ルートを簡単に説明すると諸説あるが、起点はかつて都があった大阪の難波宮跡。遣隋使や遣唐使が到着した難波津があった。

 そこから南へ下って、太子が建てたという四天王寺の横を通り、仁徳天皇陵や貿易都市として栄えた堺を経て東に向きを変え、太子御廟がある山を越えて奈良に入り、三輪山を眺めながらやがて、飛鳥に至る。

 それは俯瞰(ふかん)すれば1本の道で、実際には難波大道~竹内街道~横大路~上(かみ)ツ道~山田道などから構成される。総延長40キロにも及ぶまさに“大道”なのだ。官道となる以前も実のところ、旧石器時代には二上山で産出する石器の材料、サヌカイトが運ばれた道でもあった。

 おもしろいのは、官道となってからでも1400年以上、使われ続けていることだ。古代には外交使節がゆき、中世には物資や商品を運ぶ商人らが歩き、近世には伊勢参りの人々でにぎわう、「外交の道」「信仰の道」「経済の道」として生き続けてきたのである。今も観光客が絶えないことを考えれば、さながら「インバウンドの道」といったところだろう。

 実はいまその道の歴史と意味を勉強している。来月24日、東京の一橋大学一橋講堂(千代田区)で、シンポジウム「古(いにしえ)の時代から続く街道浪漫 悠久の歴史を歩く」が開かれるからだ。

 ゲストは、持統天皇を描いた作品などで知られるマンガ家の里中満智子さん、松尾芭蕉に関する多くの著書がある作家の嵐山光三郎さん。ほかに古代史や仏教の専門家も加わって、古代から今に至る「大道」の魅力をとことん、掘り下げる予定である。

 不思議なことに、春分と秋分の日の年2回、太陽は三輪山の山頂に昇り、二上山を越えて大阪湾に沈む。その太陽の軌道を「太陽の道」と呼び、龍の姿になぞらえて「龍の道」ともされた。

 「日出づる国」日本はこの道から始まったのである。(やまがみ なおこ)

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