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【阪神大震災24年】息子に語り継ぐ記憶 両親犠牲の野原啓子さん(48)

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長男の野原凌さん(左)とともに、両親の名が刻まれた銘板に手を添える野原啓子さん=17日午前6時15分、神戸市中央区の東遊園地(須谷友郁撮影)
長男の野原凌さん(左)とともに、両親の名が刻まれた銘板に手を添える野原啓子さん=17日午前6時15分、神戸市中央区の東遊園地(須谷友郁撮影)

 父の義弘さん=当時(56)=と母の清子さん=同(53)=を亡くした神戸市灘区の主婦、野原啓子さん(48)は17日、東遊園地(同市中央区)で、高校3年の長男、凌(りょう)さん(18)とともに両親の名が刻まれた銘板に手を添えていた。親子の胸にあるのは、震災の記憶をつないでいく、という思いだ。

 震災の数日前、野原さんはタイ旅行に出かけた。出発の日、灘区の実家で清子さんは早起きし、朝食を用意してくれた。「パスポート持ったか」。それが母と交わした最後の言葉になった。震災翌日に帰国すると、見慣れた神戸の街は消えていた。崩れた実家の前には変わり果てた両親の姿が横たわっていた。

 子供好きの清子さんは、買い物に誘うとうれしそうに待ち合わせ場所に飛んできた。クリーニング店を営んでいた職人かたぎの義弘さんは、兄2人と弟1人に挟まれた一人娘の野原さんを特にかわいがってくれた。野原さんはそんな両親の死を受け入れられず、追悼行事に向かうこともなかった。

 しかし、結婚して平成12年に凌さんを授かると、考えが変わった。母になったことで両親の偉大さをよりいっそう感じ、「この子に震災の記憶を引き継いでいかなければ」との思いにかられた。凌さんには、幼いころから少しずつ震災の話をしていった。

 凌さんが小学生になると一緒に東遊園地での追悼行事に参加するようになった。「寒いし、眠たいと思うときもある。でも、家族が亡くなった時間には自分も追悼しなければいけないと思った」と凌さん。東遊園地で過ごす時間は「生まれる前に亡くなった祖父母を考える大切な時間」だ。

 凌さんは今春、高校を卒業して兵庫県西宮市の食品製造会社に就職する。仕事の内容次第では、来年の追悼行事には参加できないかもしれない。だが、「おじいちゃんもおばあちゃんも生きていれば絶対に応援してくれていると思う。早く一人前になり、母や困っている人を助けられるようになりたい」と語る。

 野原さんは「2人が生きていたらという思いは今も消えず、私の中で風化することはない。これからも震災について伝え切れていないことがあれば、(凌さんに)伝えていきたい」と話した。(中川三緒)

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