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【阪神大震災24年】「叔母ちゃんになったよ」 長女出産の菊地いつかさん 亡き妹胸に前へ

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菊地いつかさんと長女の良ちゃん=16日午後、神戸市西区(沢野貴信撮影)
菊地いつかさんと長女の良ちゃん=16日午後、神戸市西区(沢野貴信撮影)

 はるかは、叔母ちゃんになったんだよ-。天皇陛下がお歌に詠まれた阪神大震災復興のシンボル「はるかのひまわり」。そのモデルとなった加藤はるかさん=当時(11)=の姉、菊地いつかさん(39)=神戸市西区=が昨年9月、第一子となる長女を出産した。震災から24年。かけがえのないものを失う痛みは、新たな命を守る強さになった。(有年由貴子)

 「お姉ちゃんに宝物が増えたよ」。17日午前5時46分、いつかさんは天国の妹に向け、こう報告した。

 中学3年だったいつかさんはたった1人の妹、小学6年のはるかさんを亡くした。3歳違いで、「お姉ちゃん」と後を付いてくる甘えん坊の妹。そばにいるのが当たり前だった。

 体育館で対面した変わり果てた妹の姿に「少しでもきれいにしてあげたい」と口紅をさした。それでも実感が持てず、涙は出なかった。

 震災後、母は「早くはるかのもとへ行きたい」と悲しみに暮れ、父は酒におぼれた。仲が良かった家族から会話と笑顔が消えた。

 「私が死ねばよかったのかな」。生き残ったという負い目がいつかさんを苦しめた。精神神経科に通い、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。母に「あなたは生きているだけでいい」と言ってほしくて、自傷行為を繰り返した。妹の遺影に泣きながら感情をぶつけた。「何で先に死んだんよ」。生活はすさみ、20歳のとき家を出た。

 広がっていく「はるかのひまわり」の活動も最初は疎ましく、「震災復興のシンボルとしてはるかの存在が大きくなるにつれて、自分がどんどん小さくなっていく気がした」

 介護ヘルパーとして働きながら、活動に関わり始めたのは震災から7年後の平成14年のことだ。「遺族なのに人任せにしていていいのか」と思うようになった。

 そこには同じように心に傷を抱えた遺族らがいた。「かっこつけないで泣けばいい」と言ってくれたボランティアの仲間もいた。しだいに「ひまわり」を通じた多くの出会いが、妹が残してくれた「プレゼント」と思えるようになった。

 27年4月、会社員の夫(48)と結婚。昨秋、長女の良(りょう)ちゃんを授かった。

 妊娠が分かった当初は「大事なものを増やすことが怖いと思った」。だが、昨年6月の大阪北部地震のとき、「この子だけは」ととっさにおなかをかばっている自分がいた。

 育児に追われる毎日だが、娘の寝顔や笑顔に癒やされる。「この子を置いて死なれへんな」と笑う。母親となり、震災後手放せなかった精神安定剤の服用をやめた。

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