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【昭和39年物語】(34)8月6日「神宮の乱」…長嶋の本盗に広岡激怒

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 川上監督と広岡の“確執”が決定づけられ、その年のオフの「放出騒動」-41年の「退団」へとつながっていく。2人の確執は川上が現役時代、打撃のことを考えて一塁の守備がおろそかになっていたとき、遊撃の広岡から「そのぐらいの送球は取ってくださいよ」と言われたことに端を発している。余談だが、後年、阪神の吉田義男はこのときの広岡の心境を「よう分かります」と語った。

 「わたしも一塁の藤村(富美男)さんの守備には泣かされました。ちょっとでも高い送球や低い送球は、知らんぷりして取ってくれません。足も伸ばしてくれへんかった」

 50年に阪神の監督に就任した吉田は、ロッテを退団した長身のアルトマンをテスト入団させ、一塁で起用した。その理由が「彼は足を目いっぱい伸ばして送球を取るから」といわれている。

=敬称略 (田所龍一)

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