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洋画家の草分け 浅井忠の水彩画50枚見つかる 軽快なタッチで風俗描く

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「当世風俗五十番歌合」の挿絵の原画として浅井忠が描いた水彩画。とじられた状態で見つかった
「当世風俗五十番歌合」の挿絵の原画として浅井忠が描いた水彩画。とじられた状態で見つかった

 日本の西洋画の草分けとして知られる明治期の画家、浅井忠(あさいちゅう)(1856~1907年)が最晩年に描いた水彩画50枚が、京都市内で見つかった。歌集の挿絵の原画として描かれ、軽快な筆運びが特徴。専門家は「西洋画家でありながらのびのびとした描写から、日本画の確かな技術もうかがえる」としている。

 水彩画は、国文学者で歌人の池辺義象(いけべよしかた)が手がけた歌集「当世風俗五十番歌合(うたあわせ)」(明治40年出版、上下2巻)の挿絵の原画として描かれた。原画は行方不明だったが、昨年夏に京都市中京区の民家で上下巻を合わせてとじた状態で発見され、10月には東美鑑定評価機構(東京都港区)の鑑定で真作と認められた。

 版画の原画がこのように冊子状にとじられたケースは珍しく、とじられていたため、50枚すべてが散逸を免れたとも考えられる。

 歌集では、「神職と僧侶」「弁護士と落語家」など、異なる職業の一対の人物50組が登場し、それぞれを和歌で表現。中には「愛国婦人会員と出征軍人」「汽車はた振と電車札切」「ガイドとボーイ」など、急速に変化しつつある世相を示す組み合わせも。明治40年ごろは版画本から印刷本への移行期。浅井直筆の原画をもとに彫り師が原版を作り、版画が刷られた。

 日本近代美術史に詳しい原田平作・大阪大名誉教授は「西洋画家として知られる浅井だが、水彩で描かれた挿絵の方が、筆あと、描写ともにしっくりくる」と評価。「連綿と続いた日本画の技術が、浅井にも息づいていることが見受けられ、資料としても興味深い」としている。

     

 ■浅井忠 安政3(1856)年、江戸生まれ。工部美術学校でイタリア人画家のフォンタネージに師事し、以降、日本の洋画家の草分けとして活躍。明治33年に渡仏し、油彩や水彩画を多数制作。帰国後は京都に住み、後に関西美術院の創設にも加わり院長も歴任した。教育者としても、安井曽太郎や梅原龍三郎らを輩出。代表作に「春畝」「収穫」(いずれも国重要文化財)などがある。

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