PR

産経WEST 産経WEST

【昭和39年物語】(33)村山実の人情話…若トラ起用進言、結婚手助けも

Messenger
ホームランを放ち、出迎えた村山(左)とうれしそうに握手する阪神・朝井
ホームランを放ち、出迎えた村山(左)とうれしそうに握手する阪神・朝井

 南海が「首位」に立った7月28日、阪神のエース村山の連敗が7でストップした。甲子園球場での広島戦で5安打、6奪三振、1失点の完投勝ち。実に45日ぶりの勝利だった。

 「辛かった。みんなに迷惑かけてしもた。でも、もう大丈夫や。それにしても…同級生はええなぁ」

 試合前のことだ。広島の打撃練習が始まると村山は、当時、広島のコーチを務めていた関大の同級生、上田利治に声を掛けた。「ウエよ、さっぱりや。なんか勝てる薬ないか」。すると上田は練習している選手を指差して「ええカモやで。いまウチは全然当たってへんから…」。温かい友達からの一言だった。

 当時、阪神には村山が登板するときに必ず出場する選手がいた。そのひとりが三塁・朝井茂治(しげじ)(当時23歳)である。名三塁手の三宅秀史(ひでし)が昭和37年に左目を負傷。当初、藤本監督はその穴を外国人選手ベルトイアで埋めようと思っていた。

 3月のある日、朝井が監督室の前を通ろうとしたとき、中から村山の声が聞こえた。

 村山「監督、朝井をサードに使ってやってください。彼はいまはまだ、あまり上手(うま)いとはいえないが、磨けば光る選手です」

 藤本「それは分かっとる。が、守備が悪いからなぁ」

 村山「守備がヘタだといって使わなかったら、いつまでたっても上手くなりませんよ。せめて、ボクが投げるときだけでも、使ってやってください」

 部屋から出てきた村山に朝井は頭を下げた。すると村山は「シゲ、オレを男にしてくれよ」とポンと肩を叩いたという。まるで“青春ドラマ”のようなお話。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ