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【維新150年】文明開化発祥のまち「川口居留地」

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「維新150年」川口基督教会=12日、大阪市西区(南雲都撮影)
「維新150年」川口基督教会=12日、大阪市西区(南雲都撮影)

 大阪メトロ阿波座駅から本町通を歩き、木津川橋を渡った。右手は堂島川と土佐堀川が合流して再び安治川と木津川に分かれるところで、中之島の最西端がわずかにのぞく。その安治川と木津川に囲まれた東の先端、約2万5千平方メートルの弾丸状の区域が旧川口居留地(大阪市西区)だ。

 みなと通との交差点の脇に「大船手(ふなて)会所跡」の碑が立つ。江戸幕府が水の都の喉(のど)もとを押さえるように、出入りの船舶を監視、臨検した役所の跡だ。みなと通を南にさらに行くと、市立本田(ほんでん)小学校の角に「川口居留地跡」の石碑があった。

 今でこそ倉庫街から高層マンションの街へと大きく変貌しようとしているが、かつては大阪の文明開化の発祥地、大阪が初めて西洋と出合った場所だった。小学校の裏手に佇(たたず)む川口基督教会。ゴシック風の煉瓦(れんが)造りのこの建物が唯一往時の様子をかろうじて伝えている。

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 慶応3年12月7日、西暦で1868年1月1日にあたるこの日、天保山沖に停泊中の米・英・仏・蘭各国の軍艦からいっせいに祝砲がとどろいた。大阪の開市を祝ったのである。

 幕府と朝廷=薩長との最大の政局だった大阪開市・兵庫開港問題は、この年の5月に条約が勅許されたことで前進し、外国人居留地の造成が始まった。候補地は、幕府の機関「船手方」(船奉行)の役所と屋敷の跡地だった。

 翌年1月の鳥羽伏見の戦いのため、街づくりはいったん中断されたが、新政府が外交と貿易事務を引き継ぐと、7月15日には大阪も開港となり、川口波止場と運上所(税関)が整備された。近くの戎(えびす)島は梅本島に、戎橋は永世橋に改められ、大阪は世界に向けて門戸を開いたのである。

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