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【虎番疾風録第2章】(4)颯爽、小津の魔法使い

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昭和54年10月、ブレーザー監督(右)の就任を発表する阪神の小津球団社長
昭和54年10月、ブレーザー監督(右)の就任を発表する阪神の小津球団社長

 電鉄本社専務取締役。重役の肩書のまま球団に乗り込んできた小津正次郎に、虎番記者たちが付けたあだ名は2つ。「ブルドーザー社長」と「小津の魔法使い」。これまでの球団社長なら、あっちこっちへ“お伺い”を立てなければ進まなかった懸案も、魔法を使ったかのように力業で押し通していく。

 後藤監督の後任も外圧という悪癖を一掃するために、外部に影響されにくい外国人監督、ドン・ブレイザーを招(しょう)聘(へい)したのである。主砲・田淵幸一の放出もしかり。各球団へトレードを打診していたことが表沙汰になると、否定するどころか「チームのため田淵本人のために、よそへ出してやるということ。トレードはオレの責任でやる。監督がやるより選手との摩擦がなくていい」とまで言い切った。

 11月14日、大阪・梅田の電鉄本社で西武の根本陸夫監督と会談しトレードが合意に達すると「かわいい子には旅をさせろ-という言葉がある」と発言。15日深夜、梅田のホテル阪神に田淵を呼び出しトレード通告した。

 小津正次郎、大正4年1月29日生まれ、当時63歳。三重県の旧制津中学から高松高等商業(現在の香川大経済学部)へ進学。野球部に所属し、内野手として高専大会で甲子園の土を踏んだ。阪神電鉄に入社早々の昭和11年には、誕生したばかりの「タイガース」の練習を手伝い、三塁を守ったこともあるという。

 旧帝国大学(京都大学)卒が中心の経営陣の中で「高商」出身の小津が専務にまで上っていくことができたのは、ずば抜けた決断力と行動力があったから。だが、その分、本社内に敵も多く作ったといわれ、今回の球団社長就任は「失脚」を狙っての工作-とも噂された。

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