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【お城探偵】悲劇の「星」五稜郭 不完全だった“鉄壁の防御” 千田嘉博

 1868(明治元)年に起きた蝦夷(えぞ)共和国(箱館政権)と新政府との戦い(箱館戦争)では、五稜郭を守った蝦夷共和国軍が四稜郭(しりょうかく)などの分派堡を急造したが、あまりに不十分だった。そして函館湾にあった弁天岬台場が落ちたことにより、五稜郭は新政府軍の強力な艦砲射撃にさらされ、勝敗は決した。つまり、弁天岬台場の戦いが五稜郭の運命を握った。土方歳三(ひじかた・としぞう)が新政府軍の猛攻のなか、なんとしても弁天岬台場を救援しようと五稜郭から出撃した理由もそこにあった。土方の判断は、きわめて的確だった。

 現在の五稜郭は函館市による発掘で石垣がよみがえり、奉行所を原寸大で復元して整備が進んだ。必要な装備が与えられず実力を発揮できなかった悲劇の星の城を訪ねて、私たちが考えるべきは、美しさに感嘆することだけではないと思う。(城郭考古学者)

【用語解説】五稜郭 五稜郭江戸末期、幕府が築いた日本初の西洋式城郭で、正式名は「亀田御役所土塁」。突き出した「稜」が5つあることから五稜郭の名で呼ばれる。戊辰(ぼしん)戦争最後の戦い「箱館戦争」では幕府軍を率いる榎本武揚(えのもと・たけあき)が占拠して抗戦するも、1869(明治2)年に降伏。戦争後に解体された奉行所の建物は、2010(平成22)年に復元された。

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