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【関西企業のDNA】「商売は菩薩の業」 伊藤忠と丸紅の祖 初代と二代伊藤忠兵衛

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中庭の景観も維持されている
中庭の景観も維持されている

 忠兵衛が61歳で他界すると、長男もすでに早世していたため、商業学校生の次男、精一が八重から後継指名され、17歳で二代忠兵衛を襲名した。八重の方針で荷造りや発送などのでっち奉公からスタートした二代目は、当時は珍しい自転車を得意先回りに導入するなど才覚を発揮。経営者に就くと、店法の改定で学卒者を大量採用し、35歳以下の若手人材による新組織づくりを進めたほか、英国留学を機にドイツやフランスから織物を仕入れて日本経由で韓国に輸出するなど「総合商社」への道を開いた。

 初代の遺訓をもとに事業を拡大した二代目は、カタカナの横書きを奨励するカナモジ運動を推進。伊藤忠グループの研修を担当する伊藤忠人事総務サービス(東京)の片桐二郎グローバル人材開発部アドバイザーは「カナ文字は書くのが早いという二代忠兵衛の合理化精神が見える」と指摘する。

記念館の近くにある初代伊藤忠兵衛の碑
記念館の近くにある初代伊藤忠兵衛の碑

 さらに個人経営の組織を改め、「伊藤忠合名会社」を設立。同社はその後、分割や合併を繰り返し、今の伊藤忠商事と丸紅に至る。先の大戦後は伊藤家以外の者が社長に就き、二代目は最晩年を熱海の別荘で過ごして86歳で死去した。

 片桐さんによると、山崎豊子の小説「不毛地帯」のモデルにもなった、いすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携を伊藤忠が仲介した際、二代目は当時の伊藤忠の担当役員に経緯を尋ねるなど、一線を退いたとはいえ、自らが育てた会社の経営を気にかけていたという。

近くには九代伊藤長兵衛の屋敷跡と碑もある
近くには九代伊藤長兵衛の屋敷跡と碑もある

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