PR

産経WEST 産経WEST

【石野伸子の読み直し浪花女】複眼のコスモポリタン陳舜臣(2)朱服點頭名漸馳 生計のため作家に 大ペルシャ詩を訳す夢

Messenger
大阪外国語学校に学んでいたころの陳舜臣
大阪外国語学校に学んでいたころの陳舜臣

 「回顧」と題する陳舜臣の漢詩がある。還暦を迎えたとき、自分の人生を詠んだもので自作漢詩集『風騒集』に収められている。

 七言律詩という形式で、7文字で1句をなし、2つの句がひとつのまとまり「聯(れん)」をなす。最初の首聯(しゅれん)に「若いころ私はいささか風雅を慕うこころはあったが、動乱の時代に逢い、他郷に学ぶという不安定な日を送った」(自釈)と書いた後、「頷聯(がんれん)」と呼ばれる3、4句に自身の青春をこう詠んでいる。

  青春過隙無人覚

  朱服點頭名漸馳

 「すきまをすぎる駒にたとえられるように、青春はまたたくうちにすぎ、ひとは私を知らず、私も時のすぎ行くのを知らなかった」

 「文学の賞をもらってから、ようやく名を知られたが、もうたそがれはじめていたのである」

 漢詩の“含蓄力”は深い。これら本人による自釈を読むと、自分には長い潜伏期間があったのだというため息が聞こえてくるようだ。

 陳舜臣が作家デビューしたのは昭和36(1961)年、37歳のときだった。「たそがれはじめていた」とはやや過剰な表現ではあるが、確かに決して早いデビューではなかった。

 戦後しばらく、陳舜臣は父親の仕事を手伝いながら、文章修行をするという時間を過ごした。

 現在、「陳舜臣アジア文芸館」(神戸市中央区)の館長をつとめる長男の陳立人(りーれん)さん(66)は、夜遅くまで机に向かっていた父親の姿をよく覚えている。

 「小さかったので何を書いていたかは知りませんが、父は勉強家だったと思います」

 そのころ、陳舜臣は机に向かって何を書いていたのか。

続きを読む

関連ニュース

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ