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【昭和39年物語】(16)「魔術師」三原脩…名将の魔術 首位に立つ大洋

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昭和35年、三原監督(背番号60)から打撃指導をうける大洋の選手たち(右から岩本、土井、枝村、1人おいて桑田)
昭和35年、三原監督(背番号60)から打撃指導をうける大洋の選手たち(右から岩本、土井、枝村、1人おいて桑田)

 セ・リーグに目を移そう。4月27日時点で大洋が2位阪神、3位巨人に3ゲーム差をつけて首位に立った(4位国鉄、5位広島、6位中日)。

 「ウチが首位-といっても、巨人と比べると互角です。それが気に入らない。当然、7対3の割合でウチの力がリードしていてもいいはず。だが実際は、ONがそろって打っていない、投手陣も悪い巨人がこの位置にいる」と、不機嫌そうに分析したのは「名将」三原監督である。

 三原脩(おさむ)、明治44年11月21日生まれ、当時52歳。巨人、西鉄で監督を務め、昭和35年に大洋の監督に就任。6年連続最下位に低迷していたチームをいきなり「日本一」に導いた名監督である。人は三原のことを『魔術師』と呼んだ。いったいどんな“魔術”を使うのだろう。本間勝に尋ねた。

 「そやなぁ、先発メンバーに初めて“当て馬”を使った。代走や代打、守備要員といった“専門職”を作ったのも三原さんが初めてやったし、一番驚いたのはワンポイントリリーフやね」

 先発していたエース秋山登(のぼる)を突然、外野に回し、打者1人にリリーフを送って再び秋山をマウンドに戻す。当時はどの球団もその継投策に驚いた。だが、三原の真骨頂は選手の個性を見抜き心をつかむ「人心掌握術」だった。35年に大洋の正捕手として三原監督を胴上げし、60年に阪神・吉田義男監督に請われてヘッドコーチを務めて「日本一」に輝いた土井淳(きよし)(85)は当時をこう回想した。

 「三原さんは選手の長所短所、性格、精神力の強さをすべて把握していた。短所を直すのではなく、長所を伸ばし、発揮できるように選手を使った。それに、選手を“大人扱い”していたし、サインを選手に任せたこともある」

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