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【昭和39年物語】(15)小林米三と西本監督…奮い立った「道楽息子」

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 結果は45票中「×」が7票、白票4票。「1票でも×があれば辞める」と心を決めていた西本は、岡野祐(たすく)球団社長へ辞任を申し出た。固い辞意…この時、岡野社長は青田昇コーチの昇格案を持ってオーナーに会ったといわれている。だが、小林はこれを認めなかった。再度慰留の指示をするとともに、自らも説得に乗り出した。

 「ウチの監督は西本君、あなたしかいないんですよ」。小林の熱い言葉に西本は涙したという。翌42年、阪急は球団創設32年目にして初のリーグ優勝を遂げる。そして43年2連覇、44年3連覇-道楽息子がついに親をビックリさせたのである。だが、その喜びの場に小林オーナーの姿はなかった。

 44年2月10日、がん性腹膜炎のため入院先の病院で亡くなっていたのである。享年59、あまりにも早い、突然の別れだった。

=敬称略 (田所龍一)

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