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【昭和39年物語】(15)小林米三と西本監督…奮い立った「道楽息子」

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西本監督(左)をねぎらう阪急の小林米三オーナー
西本監督(左)をねぎらう阪急の小林米三オーナー

 「趣味や道楽で球団を持っているんじゃないんですよ」。小林オーナーの静かな一言が“勇者”を奮い立たせた。小林米三、明治42年8月18日生まれ、当時54歳。阪急電鉄、宝塚歌劇、阪急百貨店などの創業者、小林一三の三男である。

 昭和11年に「阪急軍」として創設され、巨人や阪神に次ぐ老舗球団だったが、実力も人気も今ひとつ。優勝どころか何年もBクラスに低迷し、38年には球団史上初の最下位に落ち込んだ。当然、電鉄本社の上層部は「球団経営から手を引くべきである」と色めき立った。それでなくとも毎年、1億5千万円以上の赤字を出し、当時、70社以上あった系列会社の中で一番の“お荷物”会社。だが、小林はそんな幹部たちをこう説得したという。

 「阪急には数えきれんほどの子供(系列会社)がおます。そやけど、親の情として出来の悪い子供ほど余計にかわいいもんですわ。お金の掛かる“道楽息子”やけど、そのうち親をビックリさせることをやってくれますやろ」

 小林自身もっとプロ野球のことを勉強しなければいけない-という思いがあったのだろう。38年、球団納会後の12月24日、大阪・梅田の阪急電鉄本社の社長室に数人の野球評論家を招いた。「少し無関心過ぎたようです」と2時間に及ぶ“野球講義”を受けた。

 小林オーナーの西本に対する信頼は絶大だった。納会での一言が功を奏し、39年に2位となった阪急だったが、翌40年は再び4位に転落。そして41年、5位に終わると西本監督は秋季キャンプ直前の10月14日、選手たちへ「来季もわたしと一緒に戦う覚悟があるかないか」を問うた。有名な『監督信任投票』事件である。

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