PR

産経WEST 産経WEST

【石野伸子の読み直し浪花女】小松左京・不滅のSF魂(6)コネ無し大阪万博やぶれかぶれ誘致 祇園、青春、利権、陰口…

Messenger
新潮文庫の新刊として10月に出された「やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記」
新潮文庫の新刊として10月に出された「やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記」

 大阪万博の再来はあるのか。2025年万博の開催都市が11月23日に決定する。カウントダウンが始まり、注目度は一気に高まってきた。

 そのタイミングを見計らったように、新潮文庫から小松左京の「大阪万博奮闘記」の復刻版が出た。小松の自伝とセットにして、タイトルは「やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記」となっているが、表紙はEXPO’70のポスターの前でポーズをとる小松と太陽の塔がドンと写った万博会場。万博態勢だ。「SFと万博が青春だった」という帯のキャッチコピーがうまい。

 文庫本に収録された「大阪万博奮闘記」は昭和46(1971)年、月刊文芸春秋2月号に掲載された長文リポートだ。「ニッポン・七〇年代前夜」と題して掲載され、その後、単行本「巨大プロジェクト動く 私の万博・花博顛末記」(平成6=1994=年・廣済堂出版)に収録された。

 まだ万博の余韻が濃厚な時期。自分がどのように万博にかかわったか。昭和39(1964)年の東京オリンピックから昭和45(1970)年の大阪万博に向かう日本の激動期。小松39歳。SF作家としても社会評論の面でも脂が乗り、自分の足場を固めつつある時期。金と権力が渦巻く国家プロジェクトの渦中にあって体験したことを、フリーハンドでもの申す率直さが光る。小松の、そして日本の青春が生き生きと描かれている。

 「一九六四年の七月はじめのある午後、私は、京都祇園花見小路の、とある旅館をたずねた」

 「ニッポン・七〇年代前夜」はこんな文章で始まる。集まったのは大阪市立大学助教授で文化人類学者の梅棹忠夫、京都大学人文研の社会学者加藤秀俊、それに大阪朝日放送の出版課長だったN氏ら。

 この年昭和39年は東京オリンピックの年だった。間近に迫ったオリンピックの準備にわく熱狂の中で、小松はその春、新聞の片隅で「五輪の次は大阪で国際博?」という小さな記事を見つける。これは面白そうと直感した。五輪に向けて日本社会は急変していた。次のイベントは社会をどう変えるのだろうか。そこで始めたのが「万国博を考える会」。その日は第1回の会合だった。

続きを読む

関連ニュース

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ