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大阪・千早赤阪村 楠木正成関連の旧跡記す 最古級の鳥瞰図見つかる

現在に伝わる同構図の絵図のルーツとみられる「千早赤坂城絵図」。楠木正成関連の旧跡が記されている=9月19日、大阪府富田林市、大阪大谷大学(藤崎真生撮影)
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 大阪府と奈良県にまたがる金剛山を背景に、南北朝時代の武将・楠木正成の千早城(同府千早赤阪村)などを配した最古級の鳥瞰図(ちょうかんず)が見つかった。同様の構図の絵図は後世に多く描かれており、これらのモデルとなった可能性が高い。大阪大谷大博物館(同府富田林市)で21日まで展示されている。

 絵図は「千早赤坂城絵図(ちはやあかさかじょうえず)」(縦約1・2メートル、横約1・3メートル)。平成28年、同大の馬部(ばべ)隆弘准教授(日本中世・近世史)が大阪市内の古書店で発見した。

 「水分大明神」(現・建水分(たけみくまり)神社)、「千早破城」(千早城)といった現在の千早赤阪村の正成ゆかりの旧跡が描かれている。同村は「太平記」でも記された千早城での籠城戦をはじめ正成らが鎌倉幕府軍と激しい戦いを展開した場所として知られ、南北朝動乱の舞台となった。

 絵図の裏書きから約350年前の寛文5(1665)年ごろに当時の領主で、京都所司代を務めた牧野親成(まきの・ちかしげ)の命を受けた絵師が作成。当時の領主は領地の歴史を把握することを心がけていたため、その一環で作成されたとみられる。原本は牧野家に提出され、発見されたものは控えという。

 似た構図の絵図は、正成を祭る湊川神社(神戸市中央区)所蔵で明治から大正期の文人画家・富岡鉄斎の作品をはじめ各地に伝わる。馬部准教授によると、作成時期から考えて今回見つかった絵図は、後世の作品の原図になったとみられる。馬部准教授は「現在にも伝わる絵図の起源の可能性が高く、価値がある」と話している。

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