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故郷を捨てた作家・山田風太郎 同級生らが顕彰

山田風太郎(山田風太郎記念館提供)
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 忍法帖シリーズやミステリー小説で知られる作家、山田風太郎=本名・誠也(せいや)、1922~2001年=を顕彰する「山田風太郎記念館」が、出身地の兵庫県養父市関宮に開館して今年で15周年を迎えた。風太郎の直筆原稿など貴重な資料約2千点が保管され、ファンの「聖地」として知られる。東京で成功し、出身地に戻らなかった風太郎は「故郷を捨てた作家」ともいわれたが、同級生らの努力で記念館が完成、「風太郎文学」が広く伝えられることになった。4年後に生誕100年を迎える。(谷下秀洋)

同級生らが開館に尽力

 記念館は合併前の旧関宮町が約4300万円をかけ、風太郎が通った旧関宮小学校跡に建設し、平成15年4月に開館。風太郎の小学校時代の同級生らがつくった「山田風太郎の会」が、養父市の指定管理者として運営する。

 本館(鉄筋平屋建て約150平方メートル)は事務所と資料の展示スペース、寄付金で新たに建設した別館(同約80平方メートル)は会議室と資料保管庫が入る。

 同級生らの尽力で完成した記念館だが、当初、東京に移住し作家活動を続けた風太郎に対する地元の評価は低かったという。「風太郎さんは全国的に知られても、地元は『故郷を捨てた作家』という冷たい反応で、住民の理解を得るのは大変な苦労でした」。同会のメンバーで風太郎研究の有本倶子さん(74)はこう振り返る。

恵まれなかった青春期

 風太郎は旧関宮村(当時)の医師の家に生まれた。両親とも代々、医者の家系で裕福な生活を送っていたが、5歳の時に父親が急死。その後に妹が生まれ、母親は医者だった父の弟と再婚したが、風太郎が旧制豊岡中学(現県立豊岡高校)2年の14歳の時、肺炎で急死した。

 「この年齢で母がいなくなることは、魂の酸欠状態をもたらす。その打撃から脱するのに、私は十年を要した」。風太郎はエッセー集『風眼抄』にこう記している。母の死後は自暴自棄となり、「成績は三年生から落ち始め、三回も停学になるし、内申書も悪かった」という。

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