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【EXPO’70秘話 太陽工業の挑戦(上)】厚さ4ミリ生地で富士グループ・パビリオン

「富士グループ・パビリオン」の模型を示しながら製造当時を振り返る薮野さん=大阪市中央区
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 政府が大阪誘致を目指す2025年国際博覧会(万博)の開催地決定まで、あとわずか。昭和45(1970)年に「人類の進歩と調和」をテーマに開かれた大阪万博では、国内外から出展されたパビリオンの多くが従来のテント建築の概念を打ち破る多彩な膜面構造物で形成され、来場者の注目を集めた。これらを手がけた太陽工業(大阪市淀川区)で当時、製造課長・生産技術課長として指揮を執った薮野正年元専務(77)が、未知への挑戦の舞台裏を語った。(栗川喜典)

若手素人集団

 1967年にカナダ・モントリオールで開かれた万博で張力を使用した膜面パビリオンの西ドイツ館を目にして、感銘を受けた太陽工業の能村龍太郎(のうむら・りょうたろう)社長(当時)は「あれを超えよう」と、大学や研究機関などと共同で巨大な膜面構造物の研究開発に注力。多方面にはたらきかけた結果、大阪万博で膜面構造物を使ったパビリオンや施設の90%以上を太陽工業が担当することになった。

 薮野さんは工業高校を卒業後、太陽工業に入社し、当時は自動車向けの内装部品を担当。同社枚方工場(大阪府枚方市)で大阪万博のための膜面構造物を作る工場の増設を命じられ、工場完成後はそのまま万博事業部の製造課長に抜擢(ばってき)された。

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